かわや(旧よろずや)のブログ

好きな乃木坂、映画、漫画などについて語ります。

6期生募集を受けて~今後の乃木坂46はこうなると妄想~其の壱

つい先日、6期生のオーディションの日程が発表されましたね。

だいたい2、3年周期で募集しているので、そろそろ感がありましたが、いよいよ来たかという感じですね。春と夏に分けて2回に分けて募集するとのことですが、なんでょうね、大人数を募集するってことでしょうかね。

一回の募集期間が、従来どおりだいたい一ヶ月です。これまで一回のオーディションでだいたい十人強の合格者を出してきたので、素直に考えると、二十人以上の6期生を入れようってことになりますね。そうなると大量の人員が入れ替わるってことになりますね。

いずれにしても、6期生の募集が始まるってことは、卒業のロードマップもできているってことでしょう。

 

ということで、今後の乃木坂46がどうなろうとしているのか、最近の動向の中で特徴的な動きをピックアップしながら考えてみたいと思います。

目立った動きをつなげてみると、運営サイドは5期生を中心にした、本格派を志向した体制に徐々にシフトしようとしているのではないかという気がしています。

 

上の絵は、5期生楽曲『いつの日にか、あの歌を』のワンシーンです。この曲、歌詞が妙なくらいにへりくだっているし、「バトン」というワードも気になるし、実に意味深な曲に聞こえます。まあ、それは機会があればおいおい。

とはいえ、33枚目シングルのフォーメーションの予想を、よせばいいのにやって惨敗した人の予想なので、自分で言うのもなんですがアテにならないですwww。

 

ターニングポイントだった2023年

去年が乃木坂にとって大きなターニングポイントだったように思います。

2022年年末の齋藤飛鳥さんの卒業に続いて、年明けとともに秋元真夏さん、鈴木絢音さんと立て続けに卒業が続き、ついに、乃木坂の土台を築いてきた1期生2期生が全員卒業しました。

 

そこで、運営サイドが一番懸念していたことは、古くから乃木坂を応援してきてくれたファンが離れ、地盤沈下が起きることだったんではないかと思います。

しかし、現実にはそれほど目立った人気の低下は見られず、踏みとどまっているように見えます。

たとえば、レコードの売上枚数を見ると、このところ、ほぼ横ばいをキープしているようです。

白石麻衣さんの卒業シングルとなった25枚目シングルから、最新の34枚目シングルの売上枚数の推移です。

25枚目から26枚目にかけて売上枚数ががくっと落ちます。

これは、それまで乃木坂を牽引してきた白石麻衣さんが卒業したこともあるでしょうが、それ以上にコロナの影響が大きいのではないかと思います。

CDに付いている握手会のチケットを目当てに購入していたファンが、コロナ騒ぎで握手会が開催されなくなり、CDを買い控えたため、売上枚数ががくっと落ちました。

握手会については、下の公式のページに掲載されています。

https://www.nogizaka46.com/s/n46/page/event_explanation

このような現象は、CDにチケットを付けるというビジネス形態を採っているグループが軒並み被った現象なので、これをもって人気が低落しているとは言えないですね。

むしろ、そういうアイドルの中で乃木坂は、善戦しているといった方がいいかもしれません。

握手会がなくなり、2020年10月くらいからオンラインミート&グリートという形式に振り替えられ、画面越しにメンバーと話ができるようになりましたが、やはり握手会ほどの需要はないのか、売上回復には大きく貢献していないように見えます。

 

26枚目以降、多少の上がり下がりはあるものの、「オリコン初週売上」で見るとだいたい50万枚あたりをうろうろしている状況です。ちなみに31枚目シングル『ここにはないもの』で売上が上がっていますが、これは齋藤飛鳥さん卒業ブーストがかかったからでしょう。

ミリオンセラーを連発していた20枚目シングルから23枚目シングルあたりを全盛期としたら、今はだいたい売上枚数が半分になっています。ピーク時のときの数字が高すぎたと考えれば、今の売上が悲観的な数字であるとは言えないと思います。

ただ、今のところ人気が落ちる様子がない代わりに、上がる要素もなさそうです。

つまり、頭打ちの状態、ということです。

 

このまま現状の路線を続けていたとしても、だんだん飽きられてきて人気が下降線をたどる可能性はあるでしょう。

 

膠着状態になっていても、何かがきっかけで人気が盛り返すことはよくあります。人気の上がり下がりを繰り返しながら、長く芸能活動をしている人もいますから。

 

乃木坂人気の火付け役になるものがあるとしたら、おそらく「曲」ではないかと個人的には思っています。

乃木坂にはそこそこいい曲はあるのですが、誰もが知っているような曲ってありませんよね。

たとえば、山下達郎さんの『クリスマスイブ』とか、中山美穂さんの『世界中の誰よりきっと』とか。あと、結婚式で定番になっている安室奈美恵さんの『CAN YOU CELEBRATE?』とかですね。

タイトルを聞いただけではピンと来なくても、誰でも実際の曲を聞けば「あ、この曲知っている」というタイプの曲です。

いまの制作陣は、頑張ってくれてますし、ときどきこのブログでも曲を取り上げて「いいな、いいな」と熱く語っていますが、そうは言いつつ「外れがない代わりに大当たりはないかな」と個人的には思っています。

あるいは、ものすごく知名度の高い曲、あるいは忘れられているけれどすごくいい曲をカバーするという手もありますね。

たとえば、古い曲だけど、旋律がめちゃめちゃキャッチーで覚えやすい曲を掘りだしてきて、今風のアレンジで出してみる、なんていうのも個人的にはありかなと思っています。

 

そういう大当たりの曲に乃木坂が巡り合えるかどうかはわかりませんが、いずれにしても、メンバーの入れ替わりで顔ぶれが変わったとしても、同じ路線を繰り返していたら飽きられてしまう、ということを運営サイド(もしかしてメンバー自身も)は強く意識しているんじゃないかなと推測しています。

なんだかんだ言って、もう誕生してから12年ですからね。そんな危機感を持っていたとしても、不思議なことではないですね。

そこで、変わろうとしているように見える乃木坂が、どう変わろうとしているのか、まずは材料集めをしてみたいと思います。そのうえで、具体的な路線変更がどのようなものか考えていきたいと思います。

 

材料1 ~ 29枚目シングル『Actually...』

29枚目シングルの『Actually...』にまで話が遡ります。

このブログでもMVに焦点を当てて語っているのですが、「乃木坂は変わるからね」宣言をしたというように見ています。

yorozu831.hatenadiary.jp

ちなみに、この記事、続き物で続編の記事があるのですが、半年くらい書きかけのままずっと放置しています。内容的に「ドМのアルノさん」とか、そういう内容の記事ですwww。いつになるかわかりませんが、いずれリリースする予定です。

この変わる宣言は、今回だけちょっと変わったことをします、というような一回限りの話ではなくて、これから乃木坂は曲がり角を曲がって変わりますね、というように捉えています。

監督に著名な黒沢清さんを起用した本気度マックスのMVですから、それだけの意気込みがあったんではないかと思います。

26枚目シングル以降、売上枚数がずっと横ばい状況になっていたわけですから、何か変化が欲しかったんじゃないでしょうか。

ただ、変化に対する拒否反応が強烈に出る可能性もあったわけですから、まずは、変わるためのクサビを打っておきたかったんじゃないかと想像しています。

しかし、そんな思いとは裏腹に中西アルノさんの自粛騒ぎが起きて、せっかくの挑戦も尻すぼみになってしまった感があります。

 

『Actually...』が成功か、失敗かの議論はあるでしょうが、何にしても中西アルノさんのようなタイプの人が乃木坂に入り、しかもセンターに抜擢されたということは、今までの乃木坂の歴史の中でめちゃめちゃインパクトのある話だと個人的に思っています。

どういうことかと言うと、「アイドルグループに本格的な歌い手が入ってきちゃった」ということです。

 

アルノさん、曲にいまひとつハマらないときは普通に歌がうまい人なのですが、曲にハマったときの破壊力が半端じゃありません。

彼女の独唱で印象的な曲はいろいろあるのですが、最近だと去年の暮れに開催された超乃木坂スター誕生のライブですね。

アルノさんが独唱する『接吻 Kiss』を聴いたときに、改めて「この子、乃木坂の看板なくても一人でやっていけるじゃん」と思いました。

 

材料2 ~ ユーミンとの共演と歌うま選抜

もう一つ歌うまエピソードです。

去年の年末に、松任谷由実さん(ユーミン)と乃木坂が共演しましたね。

おそらく、乃木坂側のメンツは歌うまメンバーが選ばれたのでしょう。3期生から久保史緒里さん、4期生から林瑠奈さん、5期生からは五百城茉央さん、井上和さん、奥田いろはさん、中西アルノさんと、5期生に偏った歌うま選抜でした。

正直、バランスが悪い選抜のように感じましたし、あの演出は「なんだ?」とも思いましたが、ただ、歌唱力の面で運営サイドは5期生を高く評価している、ということは明らかなようです。

実際、5期生がメインとなっている『超・新乃木坂スター誕生』では、5期生が自ら選曲して歌う企画をやるようになりましたが、今までの乃木坂ではあり得ない無茶苦茶難しい曲(ボカロとか)に挑戦していたりしますね。それを彼女たちなりに消化しているんだから、末恐ろしいというかなんていうか。

 

材料3 ~ フォーメーション

それと、ここ最近のシングル表題曲の動きを見ていると、今の乃木坂で単独センターを張れるのは井上和さんだけ、と見られている節があります。

まだ3枚分のシングルしか材料がないので、根拠としては弱いのですが、32枚目から34枚目のシングルのフォーメーションを並べて見てみます。

32枚目シングル『人は夢を二度見る』

33枚目シングル『おひとりさま天国』

34枚目シングル『Monopoly』

32枚目と34枚目のシングルではそれぞれ3期生4期生がダブルセンター、そして井上和さんが両シングルで裏センターです。

裏センターというのは、2列目の真ん中で、センターの後ろにいるため、カメラに抜かれることが多いポジションのことです。

歌番組で見ていると、ダブルセンターの合間で井上和さんがかなり目立っていました。

そして33枚目では満を持して単独センター。

 

まあ、単独センターは和ちゃんしかいない、という言い方は言い過ぎかもしれません。

ただ、和ちゃんには早く乃木坂の顔になって欲しいという想いが強く働いてきたのはほぼ間違いないでしょうし、おそらく、6期生加入後の新しい体制の中で中心になるための布石作りなのではないかと思います。

また、中心になってほしい=運営サイドが描くこれからの乃木坂の理想像、というようにも見えますね。つまり、ビジュアルだけでなく、パフォーマンス力が求められるということです。

5期生の人気の高さに気を良くして、この路線は今後も継続していく可能性は高いと思います。5期生の成功で、6期生選考のハードルも上がっているんじゃないでしょうか。

 

材料4 ~ ここのところの選抜の傾向

選抜に関しては、もう一つトピックがあります。

30枚目から始まった流れで、久しく選抜から離れていたメンバー、あるいは選抜経験がないメンバーがアンダーから引き抜かれ、その次のシングルではまたアンダーに戻るという流れが始まりました。30枚目で佐藤楓さん、31枚目で阪口珠美さん、林瑠奈さん、32枚目で松尾美佑さん、という具合いで続いています。

いわゆる「お試し選抜」とか「思い出選抜」といわれるやつです。呼び方があれなので、あまり使いたくない言葉ですが。

 

実は以前、いわゆる「お試し選抜」や「思い出選抜」の存在について否定的な意見を書いたことがあります。正確に言うと、そういうことを書くという予告をしただけで、記事自体は途中まで書いて放棄しています。

その未完の原稿の中で書こうと思っていたことは、確かにそういう動きらしきものはあっても、その意図がはっきりしない以上、「お試し」とも「思い出」とも言えない、つまり、そういう類の選抜はあるともないとも言えるという主旨の記事を書こうと思っていました。

それと、そういう類の選抜を心情的に否定したいという心理も働いていました。

一回きりの選抜をビジネスライクに割り切れる子であればいいのですが、若い女の子にそれを要求することは厳しいんじゃないかと。特に10代の女の子なんて自我がゆらゆらしていて、なかなか自己を肯定できませんから。

試練としてはすごくきつい試練じゃないかと思います。まあ、アイドル業の宿命みたいなものだから、乗り越えなければならないハードルなんでしょうけど、ただでさえ矢面に立たされるアイドルにとって酷な話です。

 

思い起こせば、確かに、表現はともかく「お試し」とか「思い出」とかいう言い方をしたくなる選抜が過去にありました。

顕著に出ていたのが、7枚目シングルあたりから、当時の握手会の実績から見て選抜相当でなさそうなメンバーがアンダーから選抜に引き抜かれ、次のシングルでアンダーに戻るケース(和田まあやさん、斎藤ちはるさんなど)がしばらく続いたことがあります。

何らかの意図が働いているように見えます。

しかし、どういう意図があったのかよくわからないんです。

ちょうど7枚目シングルでは、まだ加入したての2期生堀未央奈さんが、いきなりセンターに抜擢されましたが、そういう抜擢のされ方に1期生が反発しました。当時、橋本奈々未さんがブログでその複雑な心情を綴っています。

そういう悪い空気を払拭するためのガス抜きではないかと思うフシもあったのですが、いまいち意図が見えませんでした。

ガス抜きかもしれないし、選抜メンバーに変化をつけてみたかったのかもしれないし、あるいは「お試し」だったのかもしれないし、云々。考えれば、いろいろな可能性が出てくるわけです。

まあ、運営が意図を発表してくれるわけがないので、私たちはあれこれ想像しながら、でも結局わからないと悶々とするしかないわけです。

 

そんなこんなで、そういう類の選抜があることを否定しようというつもりだったのですが、どうも、ここ最近の動きをおさらいしてみると、そこには無理があると思うようになりました。

もちろん、誰かが証明してくれるわけでもないので、確定的なことは言えないのですが、処々の事情を鑑みると、なんて言ったら適切な表現になるのかわからないけれども、「一回限り選抜」というものをやっているとしか思えないようになってきました。

この動きが始まったのは、さっき書いたように、30枚目シングル『好きというのはロックだぜ!』です。しばらく選抜から遠ざかっていた佐藤楓さんが選抜復帰し、その後にアンダーに戻っています。この流れが33枚目シングルまで続いています。まだ、35枚目の選抜発表があるまでわかりませんが、34枚目でも同じことが起こるかもしれません。

この流れが29枚目の次の30枚目から始まったということが、何となく恣意的であるという香りを漂わせています。

 

それで、この30枚目から始まった流れが、さっきの6枚目シングル以降の流れと何が違うんだ、と問い詰められても、実はうまく言えないんです。なんて言うんですかね、今まで説明したことを総合的に見ると、そういう雰囲気がぷんぷんする、としか言いようがありません。

そして、「一回限り選抜」を運営側も隠そうとしていないように見えます。

つまり、これから体制を少しずつシフトしていくから、その前に選抜がどんなものだか経験しておいてください、と言っているようにしか見えない、ということです。隠そうとしない以上、そのことをメンバーも認識している、ということになります。

酷な話ですが、人気商売ですからね。同じことを繰り返していれば、やがてジリ貧になるのは誰の目にも明らかですから。

 

ま、そんな風に考え始めたので、先のブログの続編は完全に筆が止まっています。おそらく書かないでしょうね。いやはや、考えが足りなかったようです。

 

まだ、材料をぜんぶ出したわけではないのですが、長くなりそうなので、ここでいったん切ります。続編は近日リリース予定です。

 

(つづく)

 

 

ちょい技術ネタ〜ブログの裏話

前にもブログの裏話を書きましたが、その近況版です。JavascriptやCSSのような技術ネタが少し入っていますが、初歩的な話ばかりです。

たいして難しい話をしているわけではありませんし、ブログ運用(特に「はてなブログ」をお使いの方)を始めたばかりの人には、何か参考になることがあるかもしれません。



とにかく自分はどこで何を設定したのかよく忘れてしまうので、備忘録としても、最近の設定をまとめておきます。

 

まずは、近況報告です。

 

近況報告

今まで、段落を字下げするというようなスタイルの指定を外出しせずに、タグの中に直接、書き込んでいました。

<p style="text-indent: 1em; margin: 1.0em; line-height: 200%;">

これはpタグ(段落制御用のタグ)の例ですが、段落の最初の文字を一文字分、字下げしています(ハイライトの部分)。

前のブログで説明しましたが、文章自体はWordで書いていて、Wordのマクロを使ってWord文書の内容をHTML形式で吐き出すという方法を採っています。何でこんな面倒くさいことをしているのかというと、文章の内容をデータベースと連携させているからです。後で説明します。

吐き出したHTMLをブログの編集画面に貼り付ければ、記事一丁できあがりっていう方法です。

で、いちいち手でタグを書くのがばからしいので、吐き出すときに書式情報を与えるようにしています。

たとえば、Wordの段落はpタグに、箇条書きの項目はliタグに、というように、文書の属性に応じて所定のタグに変換するのですが、そのときに、書式(スタイル)の情報も与えています。

それが、たとえば、pタグのインデント(字下げ)指定だったりします。

ただ、この方式だとスタイルが固定になってしまい、あとでスタイルを変えたくなったときに、ブログの記事に直接、手を入れなければならないですね。

 

だから、スタイル情報は、タグの中に直接書き込むのではなく、外出ししておいた方が、後で変えたくなったときに圧倒的に便利です。

 

去年の暮くらいまでは、あまり見栄えを気にしていなかったので、放置していたんですが、ブログを書くことに慣れてくると、さすがに見栄えが貧相なので、そろそろ見栄えも気にしようかと考えが変わってきました。

中身がなくて、デザインだけやたら凝っているなんていうのも問題ですが、中身が濃くて充実しているのにデザインが貧相というのも何だかなという感じですよね。

ま、自分のブログの内容がそれほど濃いとも思いませんが、さすがに貧相なので手を入れねばならぬと思うようになったというわけです。

 

そこで、ちょくちょくデザインを変えたくなるような要素を外出しして管理するようにしました。具体的には「_common.css」という名前のファイルに、pタグなどのスタイルの指定を一元化しました。

自分が使っている「はてなブログ」では、ユーザー自前のCSSファイルを参照するように設定することができます。

はてなブログの場合は、「ダッシュボード」→「設定」→「詳細設定」の順番で選択し、画面を下にスクロールすると「<head>要素にメタデータを追加」というメニューがあり、そこに設定します。自分の設定画面はこうなっています。

 

 

そのファイルの中に、pタグのスタイルに関する指定が入っています。

まあ、段落なのであまり見栄えを変えることもないでしょうが、頻出するタグなので管理しておいた方がよいという判断で、このファイルの中に突っ込んでいます。

それで、ブログの記事本体のpタグの記述は現在、こんな風になっています。

<p class="blog">

「blog」という名前のクラスを使っています。そして、「_common.css」というファイルの中に「blog」というクラスの実態を定義しています。つまり字下げしろ、という定義が入っているわけですね。

 

そもそもクラスなんぞ定義せずに、pタグそのもののスタイルを決め打ちしてしまうという方法もあります。この方法だと、クラスの指定なしで、pタグを使っている箇所には漏れなく、このスタイルが適用されることになるのですが、決め打ちしてしまうとあとで首が回らなく可能性もあるので、少し危険な香りが漂います。

 

繰り返しになりますが、こうしてスタイルを外出しすることのメリットって、後々レイアウトを変えたくなったときに、スタイル情報を一元的に管理しているCSSファイルに手を加えれば、全体に適用されるので楽、つまり、いちいち各ブログの記事を変更しなくて済む、ということですね。

 

ちなみに、さっき説明したように、pタグにインデント、つまり字下げの指定をしていますが、全体で見ると字下げしているブログの方が少ないみたいですね。

ブログを始めようとしたときに、字下げが必要かどうか調べたんですが、先達のブロガーに言わせると「必要なし」という意見が大勢を占めているようですね。

その理由は、ちゃんと改行を入れれば、段落の変わり目はわかるから要らないんじゃない、という主旨だったと思います。

でも、個人的には、小学生の作文以来、字下げの文化に慣れ親しんできた以上、それを守った方がいんじゃないかという、あまり深くない理由で字下げしています。

大袈裟かもしませんが、字下げをしないと、何だか西欧の文化に魂を売り渡したように見える、ということです。性分なんですかね。なんとなくここは譲ってはいけないような気がするので、字下げをしています。

 

今は外部のCSSファイルを参照するようになっていますが、それよりも前に作った記事は、デザインを変えようとすると、記事本体に手を入れる必要が出てきます。それは、面倒くさいのでやらないと思います。内容的に誤字脱字があれば、直すでしょうけど、デザインはそのまま放置する予定です。

 

前述したように、デザインにも少しずつ力を入れるようになってきたのですが、だからと言って急激に向上したりしません。昔、少しだけスタイルの勉強をしたこともあったのですが、だいぶ昔でほぼほぼ忘却の彼方です。ということなので長い道のりだと思います。

自分が定義しているスタイルは、サンプルを無料公開しているサイトに掲載されているコードをコピーして、ちょこっと手を入れた程度のものです。

まあ、だんだんテクニックが付いてきたら、少しずつ改善(変わるだけ?)されていくんじゃないでしょうか。

 

さて、近況はこんなところですが、次の話は少しディープになります。

 

2系統に分岐する面倒くさい運用

前のブログにも書きましたが、ブログの記事と自前のデータベースを紐づけるという特殊な運用をしています。

具体的に言うと、乃木坂関係の記事は、自前の乃木坂データベースと紐づいています。

記事の中に乃木坂のメンバーの名前があれば、その名前にハイパーリンクを付けます。そのリンクをクリックすると、そのメンバーのプロフィールを説明するページ(データベース)に飛ぶというようになっています。

ハイパーリンクを付ける処理を手作業でやるとすごく面倒くさいので、Wordのマクロを使ってハイパーリンクを自動生成しています。

データベース側で「このキーワード(たとえばメンバーの氏名)に関する情報を参照したければ、データベースのここのデータを取り出せ」という情報を管理しています。その情報をマクロで拾って、ハイパーリンクを付けるということをしています。

こういうイレギュラーなことをやっているため、ブログの記事をWordで書いているというわけです。

しかし、この方式にはめちゃめちゃ大きなデメリットがあります。

Wordの文書とブログの記事の系統が2つできあがり、どちらかを更新したときに、互いをどう同期するのかが課題になります。

いや、そもそも管理を別々にするというか、同期なんて取らない、という方法もあります。ただ、そうしてしまうと、手元に取っておくWord文書の質が落ちることになります。

どういうことかと言うと、単純な誤字脱字であれば、わざわざ同期を取る必要もないんですが、説明のロジックに抜けがあったり、間違えがあったりすると、文書の質が悪いままになります。そこで、そういうところに重点的に手を入れています。

手元に置いているWord文書を将来的には活用したいと思っているので、そこそこの質のものにしたきたいと思っています。というわけで、スマホで記事を編集したら、その内容を元のWord文書に反映させたいということです。

基本に立ち返れば、そもそもWordの文書からHTMLを派生させているわけですから、基本的にはWordの文書をマスターにすべきなのですが、実は、外で何となくスマホで自分の記事を見ているときに、文章のバグを発見することが圧倒的に多いんです。そうすると、必然的に、スマホからブログの編集画面に入り、そこで直したくなるわけです。

しかし、その場合、ブログの記事の変更内容を元のWordの文書にどう反映させるかが課題になります。

 

当初の構想では、変換テーブルを使えばうまくいくかもしれないと思っていました。

変換テーブルはこんな風になっています。

# スタイル名とタグの対応付け。
@PARA=@タイトル    &lt;!--%%@タイトル|開始%%--><p style="text-indent: 1em; color: #ffffff; font-size: 150%; padding: 0.5em 0; background: #990099;">    </p><!--%%@タイトル|終了%%-->

@PARA=@見出し    <!--%%@見出し|開始%%--><p style="text-indent: 1em; color: #364e96; font-size: 125%; padding: 0.5em 0; border-top: solid 3px #364e96; border-bottom: solid 3px #364e96;">    </p><!--%%@見出し|終了%%-->

これは、Wordの文書のスタイル指定をHTMLに変換する際に参照するテーブルです。文書の内容をHTML形式で吐き出すときに、このテーブルを参照しながらHTML形式に変換しています。

「@タイトル」というWordのスタイルが当たっている箇所は、その後に続く定義のタグで挟んで出力せよ、という定義です。

このテーブルを使えば、理論上、逆方向の変換、つまり「ブログ記事→Word文書」という変換も可能になります。

たとえば、ブログ記事のHTMLに、「<!--%%@タイトル|開始%%--> ~ lt;!--%%@タイトル|終了%%-->」という文字で挟まれている箇所があれば、その部分にWordの「@タイトル」というスタイルを当てればよい、ということになります。

しかし、ここで注意しなければならないのは、はてなブログで記事を編集した際に、このタグがちゃんと生きていることが担保されていなければなりません。そうしないと取り込むのが不可能、あるいは困難になりますね。

実は、ブログの記事を編集中にタグが壊れる事件が何回か発生しています。タグが壊れるどころか、記事の内容までごっそり消えてしまうこともありました。

それに新しいタグをブログ側で追加したときにどうするのか、とかいろいろ気にしなければならないことが多いようにも思いました。

つまり、変換するうえで肝となる目印がどういう形で渡されてくるのかよくわからないという不確定さが伴うことになります。

となると、機械的に取り込むのは難しいかな、と思い始めました。

それから、取り込みの処理をWordのマクロにやらせるのは荷が重いかなとも思っていました。実際そこまでしてガリガリ、プログラムを組んでうまくいかなかったら浮かばれないなあ、という思いの方が、頑張って実装するという思いよりも上回っていたため二の足を踏んでいました。

簡単に言うと面倒くさいってことです。いや、白状すると、Wordのマクロが嫌いなんです。できれば、あまり手を染めたくない領域です。Wordのマクロも実は、渋々使っているんです。

 

とはいえ、放置していくと、このままではスマホで見つけたバグを直せないし、どうしようかなということで苦肉の策を立てました。

スマホの画面で文章のバグを見つけたときに、直接、記事を編集して更新するのではなく、修正内容を特殊なコメントとして書き込み、更新します。そして、閲覧者には、そのコメントは見えないような仕組みにしておきます。

そして、その特殊なコメントに従って、記事とWord文書を手作業で更新するという実にアナログな方法で対処することにしました。

試験的にコメントを「#」で挟むことにして試してみました。この文字で挟まれている部分が特殊なコメントとして扱われます。実際にスマホで記事を編集しているときの画面をお見せします。

 

 

 

それで、このコメントを入れた状態で記事を更新し、編集モードから閲覧モードに切り替えると、こんな風にコメント部分は表示されません。

 

編集しているときの画面では「世話好きな人」のところにハイライトかかっていませんでしたが、編集後の画面ではハイライトかかっています。ここのところは無視してください。

で、ご覧のように、「#」で囲まれた部分は表示されません。

これ、簡単な話でして、こんな感じで「#」で囲まれた部分をJavascriptで消しているだけです。ただ、この記号は色指定のところとかで、意味のある記号として使われるため、実用的ではありません。なので、変える必要がありますね。それから、コードも冗長ですね。もっと縮めちゃっていいでしょう。

var bd = document.body;
var rep = bd.innerHTML;
rep = rep.replace(/#.+?#/g,"");
bd.innerHTML = rep;

自分としては、もうちょっと気の利いた対策はないかなと思うところですが(たとえば差分解析ツールを活用した方法など)、今のところは、これでよしとして運用していくことにします。

 

以上、今は、こんな感じで運用しているという話でした。

 

乃木坂懺悔室、おひとりさま天国の解釈、間違えてました

久方ぶりの乃木坂46関係の記事です。

前にブログで、32枚目シングル『おひとりさま天国』に関する記事を書いたのですが、その内容が間違っている気がとてもしてきたので、訂正してお詫びします系の記事を書きたいと思います。

2024年1月27日付記

井上和さんの性格の説明が足りなくて、全体的な論旨がわかりにくくなっているので、追加書きしました。

 

前の記事の訂正です。前の記事はこちら。

yorozu831.hatenadiary.jp

アンダー楽曲『踏んでしまった』をテーマにした記事なのですが、その中で『おひとりさま天国』の歌詞について、こんなことを書いています。

~33枚目シングル『おひとりさま天国』のリリースに際して、作詞家の秋元康さんがセンターの井上和さんに送ったメッセージが、「一見、一人であることを勧めているように見えるが、実はみんなでいることの重要性を言っている」というような主旨だったそうなのですが、それを聞いて少し頭がくらくらしました。

少なくとも自分の頭では、あの歌詞の中から、そういう要素がいっさい汲み取れません。まあ、そういうことを汲み取れない自分の頭が悪いのだ、ということなのでしょう。

秋元康さんの歌詞に批判めいたことを書いてしまいましたが、自分の認識に誤りがあったようです。

そうは言っても依然として、『おひとりさま天国』の歌詞から「ひとりだけじゃなくて、みんなでいることの重要性」という意味は、やはり汲み取りづらいのですが。

ちなみに、『おひとりさま天国』を題材として書いたブログがこちらです。

yorozu831.hatenadiary.jp

 

この記事の中で書いているように、『おひとりさま天国』の歌詞は、一見、おひとりさまを謳歌しているように見えて、実はそういう自分に居心地の悪さを感じているのでは、と考えています。

なんとなく強がって無理をしているのではないかと。

この辺のところを広げていけば、「無理しなくていいんだよ」→「やっぱり一人だけでなく、皆に心開いた方がいいんじゃないかな」というメッセージになるのかもしれません。やや強引な感じがしますが、そう捉えてもあながち間違えではないなと。

だとしたら、先の秋元さんが井上さんに送ったメッセージ「ひとりだけじゃなくて、みんなでいることの重要性」というメッセージが、歌詞に込められているという見方もできますね。

このメッセージを直接的な表現に置き換えると、「抱え込まないようにね、もっと他人をあてにしていいんだよ」ということだったんでしょう、多分。

それは、自己肯定感がとても低い山下美月さんに、彼女のセンター曲『僕は僕を好きになる』で、「もっと自分のこと、好きになっていいんだよ」というメッセージを送ったのと同じような性質のものなんだと思います。

 

というわけで、前のブログで批判めいたことを書いてしまいましたが、間違っていたと思います。

もし気分を害された方がいたら、伏してお詫び申し上げます。

でも、それ以上に致命的な欠陥があります。

それは、そもそも、そういうメッセージがなぜ彼女に向けられたのかについて何も書いていない、ということです。

我ながら浅はかだったと思います。

 

というわけで、「おひとりさま」というワードと井上和さんとの関係について書いてみたいと思います。

 

井上和さんのことを少し深掘りすることになりますが、多分に自分の想像が入っています。

あまりアテにならないと思いますが、まあ、娘二人を育ててきた経験もあるので、ある程度、女性のメンタルの形成過程を理解しているつもりです。なので、当たらずといえども遠からずではないかと勝手に思っています。

 

では、井上和さんのことを少し深掘りしてみたいと思います。

 

「おひとりさま」な井上和さん

井上和さんがなんで「おひとりさま」なのかについて、いろいろと想像を膨らませて考えてみたいと思います。それから、ついでなので、彼女から感じる「ダークサイド」のオーラについても触れたいと思います。

 

おひとりさまな理由について考える

井上和さん、見てのとおりの超絶美少女なわけです。こんな子を街で見かけたら、たいていの人は思わず視線で追ってしまうでしょう。

こういう人の境遇というのは、それと同じ境遇の人にしかわからないでしょうから、彼女のメンタルがどうなっているかは理解しにくいところがあるのですが、ただ、あれだけの美貌の持ち主だと、当然、同性からも異性からも特殊な目で見られることは間違いないと思います。

 

同性からは憧れや賞賛だけでなく、妬みや嫉みの対象になることも多いんじゃないかと思います。女の人の世界って、どろどろしていますからね。

何事も感情より合理的な判断が優先する男性には理解しにくい世界ですが、そういうどろどろした世界ですから、陰湿な仕打ち(たとえば故意に無視されたりとか)を受けたこともあるかもしれません。

 

それから、異性からも特別な目で見られることが多いでしょうね。フランクに接してくれる人もいるでしょうが、一定の距離を置かれてしまうことも多いのではないかと思います。

つまり、同性からも異性からも特別扱いされ、距離を置かれてしまうということですね。

それが、井上さんの本意とはかけ離れていたとしたら、日常的に少しつらい思いをしていたのではないかと思います。

いずれにしても、特別な目で見られてきたでしょうから、そういう境遇がご本人にとっては息苦しく感じられる、というのは容易に想像できます。

 

今度は視点をちょっと変えます。

彼女、歌姫としての実力もすごいですね。

 

乃木坂46の5期生は歌うまの子が多いと評判ですが、5期生 だけでなく、乃木坂全体で見ても、中西アルノさんとツートップを張っているように思います。

超乃木坂スター誕生という5期生の冠番組がありますが、歌のコーナーで彼女がひな壇で見せる姿が、他の子と違っていることがときどきあります。

特に歌うまの子が歌っているときに顕著なのですが、他の子たちが手をたたいていたり、体を左右に振ってリズムをとっていたりするのに、彼女だけ微動だにせずに、じっと聞き入っていることがあります。

そういう様子を見ると、歌に対していかに彼女がストイックであるかがわかります。

 

彼女に自分の歌の話を聞くと、「まだまだ自分は。。。」とことあるごとに謙遜した答えを返していますが、裏を返せば、非常に高い目標を持っているということです。それだけのルックスを持っているんだから、何もそこまでとわれわれ凡人は思うわけですが、そういうのとは次元が違う世界にいるっていうことですね。

それに、負けず嫌いの性格もあいまって、やたらと自分に高いハードルを課しているように見えます。

 

ストイックな性格は、他の人から理解されにくい性質を持っていると思います。

たとえば、お友達の前で彼女がカラオケで歌ったとしますね。皆に褒められて一応、ありがとう系のレスをお友達に返しても、本心は納得していないとしたら、それは周りの人間に気取られてしまうでしょう。そして、お友達は内心、白けてしまうと思います。

お友達は「それだけ歌うまいんだから、今のままでいいじゃん」と思うでしょうし、井上さんは「いや、そうは言うけど。。。やっぱり理解してもらえないかな」と思うでしょう。

ま、実際にカラオケでそういうことが起こったかどうかはわかりませんが、それに類することは起きていたのではないかと思います。

 

簡単にまとめると、彼女のようなルックス、ストイックさは、どうしても人を遠ざけてしまう、ということです。

 

つまり、人との間に壁ができてしまうわけですが、性格的に見てそれとは逆方向の傾向も見えます。それは、彼女が「お母さんタイプ」であることです。

彼女が笑ったときの表情なんですが、鼻の根というんですかね、鼻の上の方に皺ができることがよくあります。この皺ができる人は「お母さんタイプ」であることが多いようです。ま、あくまでも私個人の主観なんですが。

 

乃木坂46の歴代メンバーの中で、この特徴が顕著に出るお方は、2期生北野日奈子さんですね。まだ結婚もされていないし、当然、まだ子供いないのですが、なんか「元気なお母さん」というイメージがあると思います。

現役で活躍されているアイドルの中では、この傾向が強く出ている方は櫻坂46の松田里奈さんです。櫻坂46の冠番組『そこ曲がったら、櫻坂?』の一場面を切り抜きました。鼻の上の方、根の方と言うんですかね、皺が寄っているのがおわかりいただけると思います。

 

この「お母さんタイプ」というのは、わかりやすく言い換えると、世話好きな人ということです。

なんで井上さん自身の笑顔の絵を貼り付けないのかという突っ込みもあるでしょうが、ちょうどいい素材がなかったので松田里奈(マツリ)ちゃんの絵を持ってきました。あと、単純にマツリちゃんが好きだっていう理由もあるんですがwww。

 

井上和さんも多分、お世話されるよりもお世話する方が好きなタイプでしょう。困っている人がいたら放っておけないでしょうし、自分のことを頼りにされるとすごく嬉しく感じるんじゃないかと思います。

自分の見立てでは、このタイプの方は、家庭的な人が多いようです。

さて、もし、この推測が合っていたとしたら、人との間に距離ができてしまうのは彼女にとって本意ではなかったのではないかという気がします。

距離を詰めたいと思っても、距離ができてしまうとすれば、決して埋め合わせができない溝みたいなものですから、ある種「どうせわかってもらえない」的な諦めにも似た感情も芽生えるでしょう。当然、少し斜めに構えたような姿勢になるでしょうし、相手との間に壁を築いてしまうようになるように思います。

しかし、表面的にはそう見えても、いったん距離が詰まると、非常に暖かい人なんじゃないかと思います。

 

群れることを好まず、一人行動を好むという発言をしていますが、前述したことが原因でそうなったんじゃないかと想像します。

経験則でいうと、そういうメンタリティの持ち主は、得てして、物事を自分で抱え込んで、他人に相談しようとせず、自分の中で何とか解決しようとしてもがくのですが、他人にそういう姿を気取られるのがいやで自分の世界に籠りがちになる傾向があるように思います。

去年、ステージの袖で、一人で泣いていたなんて話を聞きますね。

 

ただ、そんな彼女にとって5期生メンバーとの出会いは大きかったでしょうね。

同じ目標に向かってお互いに切磋琢磨できる環境は、彼女にとって願ってもない環境だったでしょう。

中でも歌い手として尊敬できる中西アルノさんの存在は大きいと思います。

しかも、アルノさんは「もっと自分の気持ちを吐き出して」と彼女にラブコール(って言うのかな?)を送っています。

ともすれば一人行動が多かった彼女にとって、この数年、同期と過ごした経験が、気持ちに変化を与えているのではないかと想像しています。

 

同期の存在だけでなく、それ以外にもいい傾向がありますね。

去年の夏以降、先輩たちから「和」と下の名前で呼び捨てにされることが多くなっていますね。それだけ人間関係が深くなったということを表していると思います。

おそらく最初は「和ちゃん」と呼ばれていたと思います。

 

先輩が後輩を呼ぶときに、姓で呼ぶことは少ないと思います。たとえば、「井上さん」という呼び方です。これだとよそよそしい。だから「和ちゃん」という呼び方になると思います。いきなり「和」と呼び捨てにすると、さすがに距離詰め過ぎで、呼ぶ側も呼ばれる側もバツの悪い思いをしますね。

でも、互いの距離が近くなってくると、「和ちゃん」→「和」というように呼び捨てになります。

 

確か、「おひとりさま天国」のリリースの後に、賀喜遥香さんや遠藤さくらさんと井上和さんが、よく一緒になってメディアに露出することが増えましたが、あるとき、ご両人から井上和さんのことを「和」と呼び捨てになったのを覚えています。「おお、距離が縮まったのね。よかったな」と思いました。

想像するに、おそらく先輩たちも彼女が抱え込む性格なのがわかっているでしょうから、陰に陽にサポートしてあげているんじゃないかと思います。

 

自分の中では「アイドルになる」ということは、「自分の居場所を見つける」という定義です。まあ、誰にでも当てはまる普遍的なテーマなのかもしませんが、特に、アイドルという職業にはそういう感じを強く受けます。

 

表現力が強い人に特有なダークサイド

話がまたまた変わります。

こんなことを書くとディスっていると思われるでしょうが、彼女からは「ダークサイド」を感じます。なんかスターウォーズみたいな話ですが。

ダークサイドという言い方は変かもしれませんが、「闇の部分」とか「病んでいる部分」という言い方に置き換えてもいいです。まあ、エヴァンゲリオンみたいなアニメが持つ独特の「負」の要素みたいなもんです。

 

人間誰しも後ろ暗い部分は持っていますよね。いわゆる「表裏」の「裏」の部分です。

しかし、特に表現力の強い人は、その「裏」の部分の闇が濃くなる傾向があるように思います。

具体的な事例で言うと、他の人には理解できない性癖、他の人が知ったら引いてしまうような趣味、とかいうようなものです。

 

これは、好むと好まざるにかかわらず表現力と引き換えに持ってしまう負の要素なんじゃないかと思うんです。言ってみれば、人間の持って生まれた業のようなもので、仕方のないことなんじゃないかと。

で、このダークサイド、表現力が高ければ高い程、強くなるんではないかと思うんですね。

話が極端になりますが、たとえば、音楽の世界の天才っていますね。学校の音楽教室の壁に大作曲家の肖像画がべたべた貼ってあるのを見た人は多いと思います。

あの肖像画の中でまともな人間はバッハくらいで、それ以外の人間は人格破綻者と見てほぼ間違いありません。

ベートーベンにしろ、モーツァルトにしろ、ロクでもない人間ばかりです。

肖像画は、その性格上、偉人っぽい描かれ方になっていますが、しかし実態は、どうしようもなく偏屈、偏執狂、お下劣、女たらし、不潔とロクな人間がいません。

大作曲家にまつわるロクでもないエピソードはいくらでもあるのですが、例を一つ。ブラームスにはかつて許嫁がいたことがあります。しかし、その女性を結婚間近でふっています。どういう物言いで彼女をふったのか興味のある人は調べてください。ブラームスの人非人(サイコ?)ぶりがよくわかります。

繰り返しますが、大作曲家をディスるつもりはありません。ただ、才能とダークサイドはセットみたいなものだということです。

 

話のベクトルの向きがちょいずれた感じがしますね。例が極端だったため、かえって話を分かりにくくしたきらいがありますが、なんにせよ、才能のある人は変な人間が多いという話です。

 

それで話を元に戻しますが、表現力が高い井上和さんにも、そういう要素が大なり小なりあるのではないのかな、と思う次第です。

 

乃木坂の中でダークサイドを明確に感じる人は、今まで齋藤飛鳥さんだったんですが、5期生が入ってきたから一挙に三人に増えました。

井上和さんのほかに、池田瑛紗さん、中西アルノさんの都合お三方です。

5期生が加入したときに「ビジュアルが、ビジュアルが」とビジュアル面を取り沙汰されることが多かったように記憶していますが、個人的には、今までの乃木坂にないキャラクターが入ってきたと思いました。「運営さんも思い切ったことをしたもんだ」と当時、思っていました。

 

過激な発言かもしれませんが、このお三方にはアイドルであることを忘れて、たまには負の部分をさらけ出してもらったら面白いんじゃないでしょうかね。

テレパンにシュールで意味不明な漫画を描いてもらったり、何を言っているのかわけのわからない歌を中西アルノさんと井上和さんに熱唱してもらったりとか。まあ、やるわけはないでしょうけど。

 

まとめ

いろいろと書いてきましたが、井上和さんには、いい意味でもっと「ずるく」なってくれたらいいなと思います。

たとえば、ステージでは何かと話を振られることが多いと思いますが、あまり話が思いつかなかったら、そういうのが得意なメンバー(一ノ瀬美空さんとか菅原咲月さんとか)に話を振ってしまうとか、そういうことです。

あまり当意即妙な受け答えは得意にしていないように見えるので、無茶ブリでもいいから、そういうのが得意な人に話を振ってしまえば、自分が楽になるし、振ってしまった人の受け答えのテクニックを盗めるしと一石二鳥です。

まあ、そういうテクニックは自然に身に付いていくものですから、きっと心配には及ばないのでしょう。生暖かく見守りたい思います。

 

初代ゴジラとマンハッタン計画

世間的にはゴジラマイナスワンがヒットしているようですが、ちょっと興味があったので、初代のゴジラを初めて観ました。初代ゴジラとは、ゴジラシリーズの最初の映画、1954年上映の白黒映画です。

 

 

 

これから、映画のざっとした感想、特に登場する科学者に焦点を当てていろいろと書いていきますが、内容的にネタバレありです。なので、内容を知りたくない方は、ここで引き返すことをお勧めします。

 

それと、第二次世界大戦時に米国で発足した原爆開発プロジェクト「マンハッタン計画」についても触れます。このプロジェクトを主導したオッペンハイマーは映画にもなっていますが、今年には日本で公開される感じになっていますね。

 

さて、初代ゴジラを観た感想です。

いや、すごかったです。

終わり方がかなりえぐいです。

ゴジラも、そしてゴジラを葬る科学者も悲劇性を背負っていて、この悲劇性の二重奏がおもりになって、ゴジラが倒されてもハッピーエンドになりません。

凡百の映画だったら、ゴジラを葬る博士は「自分の開発した技術は絶対に悪用させない」と独白し、感動的な音楽が流れ、という結末になりますが、そんなちんけな終わり方はしません。

お気づきの方も多いと思いますが、ゴジラと芹沢博士が海底で死を迎えるときに流れる音楽は、ゴジラの被害を受けた人々が担ぎ込まれる施設の場面で流れる音楽と同じです。この音楽は、おそらく犠牲者を弔う音楽(つまり鎮魂歌)ではないのかと思うのですが、ゴジラと芹沢博士の死も鎮魂歌で送る、ということになります。

 

この記事では、物語の軸となる主要な登場人物、特に芹沢博士を中心に、また「マンハッタン計画」という原爆開発プロジェクトに関わったオッペンハイマーとシラードという二人の科学者を絡めて書いていこうと思います。

 

初代ゴジラ映画の感想

まずは、映画全体の簡単な感想を手短に。

 

上映が1954年、終戦が1945年ですから、戦後9年経過していますね。

まだ、戦争の爪痕が色濃く残っているようで、戦争のときの話がいろいろと出てきます。

「せっかく長崎の被爆を免れたのに疎開しなくてはならないなんて」みたいな発言も出てきます。

それと、最初の方でゴジラに襲われて沈没する漁船も、アメリカの水爆実験で被爆した第五福竜丸を彷彿とさせます。

放射能を浴びたゴジラと、唯一の被爆国である日本が同じ核兵器の被害者という視点が描かれていますね。

 

英語の冒頭、「東宝」のタイトルバックの後に、「ゴジラ」の3文字だけスクリーンに大写しになり、突然、地響きのような足音がします。多分、その当時の観客は度肝を抜かれたんじゃないかと思います。それと、聞いたことのない咆哮。

この始まり方、シンゴジラでも受け継がれていますね。

 

まだ特撮が成熟していたとは言えない状況で、今みたいにCG合成なんて技術もない時代ですから、特撮映像の迫力がイマイチなのも致し方ないところでしょう。

ゴジラが口から吐き出す熱線もただの煙に見えます。その点、大映がゴジラに負けじと作ったガメラは、口から火炎放射を吐き出しますね。当時(1965年11月27日封切)としては、すごい技術的進歩だったんじゃないかと。

あと、ゴジラを自衛隊がミサイルで攻撃するシーンがあるのですが、あんなにでかい標的をハズシまくり、一発もミサイルが当たりません。多分、ミサイル攻撃を受けたときの爆発をリアルに見せようとすると、ゴジラの着ぐるみが損傷してしまうからではないかと思います。

 

今から見ると、特撮のみならず、人間ドラマとして見ても、いろいろと突っ込みどころがあると思いますが、さっき書いたとおり、人間の本質に迫るような暗い結末が、他の凡百の映画と一線を画しているのではないかと思います。

 

主要人物を軸にした見方

 

まず、主要人物を整理したいと思います。自分なりに整理したのが下の絵です。

 



 

映画の世界では定番だと思いますが、最初の登場シーンで、その人物の性格付けがされています。

映画のシーケンスを追いながら、それぞれの性格付けを見ていきたいと思います。

 

尾形秀人と山根恵美子

まず、尾形秀人と山根恵美子(山根博士の娘)です。二人は恋人同士です。

 

 

この二人は劇中、一緒に登場します。

尾形秀人は、遭難した船舶を救援する会社(サルベージ会社)に勤めている男性です。二人は尾形の会社にいて、これから映画館に繰り出そうとしています。

さあこれから出ようとするところで、電話が鳴り、沈没した船の救出に向かうよう指示を受けます。

おそらく会社でシャワーを浴び(つまりそれまで仕事だった)、いよいよ彼女を伴って映画に観に出ようとしていた、まさにそのときの電話です。

精悍な顔立ちで、ランニング姿でいかにも精力的に動く人間のように見えます。

急な要請を受けて仕事場に出なくてはならなくなった尾形秀人を、山根恵美子は「お仕事だからしょうがない」と快く送り出します。こういうときに、いろいろ女性から文句を言われて、「面倒くさい」説得を試みた男性は多数いるでしょう。そういうところがないという意味で、男性を立てる大和撫子風の女性というように描かれています。

 

また、山根親子とともに、ゴジラに襲われた村を調査するために、調査船に乗り込みますが、二人が今度の調査に対する話をし始めたときに、唐突に尾形秀人が望遠鏡を覗き込みます。

まだ船出したばかりで、ゴジラがいない海域で望遠鏡を覗き込んで何なんだと思いますが、「俺は自分の見たものしか信じない」と言っているようにも見えます。つまり、彼が徹底したリアリスト、ということを意味しているのかもしれません。

事実、この後で説明する、理想主義(科学至上主義)の山根博士との間で、ゴジラに対する考えが対立し口論になります。山根博士とは対極的な位置づけの人間として設定されたのかもしれません。



山根博士

初登場シーンは、ゴジラに襲われた村の調査のため、国会に召喚されて意見を述べます。

意見を述べるように促されたときに、背広の前のボタンを締めた後にネクタイがべろんと外に出ているのに気づいて慌ててネクタイをしまおうとしています。あまりこういう場に出ることがないのか、いかにも世事に疎そうな感じが出ています。

 

 

そして、さっき説明したように、のちのち尾形秀人とゴジラの扱いについて意見が割れ、口論になります。

ゴジラをいち早く抹殺すべきとする尾形に対して、山根博士は研究対象とすべき(放射能を浴びても生きながらえているゴジラの生命力を研究すべき)と意見が対立します。そして、いじけて自室に籠ってしまいます。子どもっぽい人として描かれています。

 

芹沢博士

芹沢博士は、主要人物の中で一番最後に登場します。

調査船に乗り込んだ山根恵美子を見送るために、ひっそりと港に姿を表します。少し心配そうな表情を浮かべているのですが、そこからは人物像が読めない、ちょっと謎めいた登場のしかたですね。実際、彼のセリフは極端に少ないため、なかなか人物像がつかみづらいところがあります。

 

 

上の絵を見てわかるように、身なりがきちんとしています。細身のイケメンですね。

もとは快活な好青年だったのに、戦争で傷を受けて片目に眼帯をかけるようになってから、研究所にこもりきりになり、あまり外に出なくなったということになっています。

はっきりした発言は劇中ないのですが、引き籠るようになった理由は、人間のエゴをさんざん見せられて人間不信になったからなのではないかと思います。

戦争というものは、ある意味、人間(ないしは国家)のエゴの産物です。互いのエゴがぶつかって話し合いではどうにもならなくなったため殴り合い(戦争)になるわけです。

戦争では人間同士が殺し合いをするわけですから、当然、戦争の醜さを目の当たりにすることになります。

そして、そういう人間のエゴの醜さを、傷という形で顔に刻印されています。つまり、忘れようにも忘れられない形で身体と心に刻みつけられてしまったということになります。

人間はそのエゴが故に破壊的な方向に走る生き物なのだということを骨身にまで刷り込まれたのかもしれません。

 

しかも、そういう悲劇性だけではなく、人間としての欲望も背負っている人間として描かれているように思います。

それがはっきり出るのが、自身の発明品「オキシジェン・デストロイヤー」(水中の酸素を破壊し、水中の生物を窒息死させる化学薬品)を山根恵美子に見せるときです。

「君と僕だけの秘密」として発明品を見せるわけですが、秘密を共有するということは特別な関係になるということです。それから、自分自身が世界的な大発明をしたという顕示欲もあるでしょう。つまり、男性との優位性を見せたかったということです。

しかも、この発明品が生物を骨にしてしまい、その後はその骨すらも溶解してしまうという、とんでもなくグロい化学兵器です。そんなものを女性に見せたら、すごくショックを受けるくらい簡単にわかるはずです。

マッドサイエンティストとしての片鱗なんでしょう、魚が泳いでいる水槽の中に「オキシジェン・デストロイヤー」を投入します。

案の定、山根恵美子はグロテスクな光景を見せられて気を失いそうになりますが、かなり大胆に彼女の身体に接触しながら彼女を抱きかかえます。

いや、そもそも彼女に実験を見せる前から、彼女の両肩を腕でつかんだりと恋人同士でなければできないような体の接触をしています。恋人以外の関係でこんな接触の仕方をしたら、普通に嫌われますって。

そこで思うのが、このときの芹沢博士の様子が、性的な欲望を表しているように見える、ということです。

彼女にオキシジェン・デストロイヤーを見せたのも、そういうよこしまな気持ちがあったように見えます。

ただ、このとき、芹沢博士が何を考えてオキシジェン・デストロイヤーを見せたのかについては、自分の中で二つの説があり、見ようによっては、そういうよこしまな気持ちはなかったとも考えられます。

あとで詳しく説明します。

 

いずれにせよ、芹沢博士は自身を犠牲にした高潔な科学者ではなく、煩悩を抱えながら葛藤している非常に人間臭い人物として描かれているように思います。

 

さて、これで一通り、主要な人物が登場しました。

ここから先は、映画の筋を追わずに、芹沢博士がオキシジェン・デストロイヤーでゴジラを抹殺しようと決意するに至った経緯と、芹沢博士を原爆開発プロジェクト「マンハッタン計画」と絡めて書いていこうと思います。

 

芹沢博士の決意

芹沢博士は基本的にオキシジェン・デストロイヤーの使用には否定的でした。そんなもの使ったら、後で取り返しのつかないことになる(政治に利用されてコントロールできない状況になる)と考えていたからですね。この考え方は、マンハッタン計画に参加した科学者の中にもありました。

では、なぜゴジラを抹殺のために使おうと決意したんでしょう。

自分の中では説が二つあります。

 

第一の説~山根恵美子の裏切り

まず、直接の引き金となったのは、山根恵美子の裏切りでしょう。

二人だけの秘密にしていたことを山根恵美子が尾形秀人に漏らしたことにショックを受け、自暴自棄になり、研究資料を燃やそうとします。

つまり、人間不信に陥っていた芹沢博士にとって、山根恵美子は唯一の希望であり、研究室に籠り切りになっている自分と、外の世界をつなぐ唯一の線だったのではないかと思います。それがぷっつりと切れて自暴自棄になったわけですね。

 

しかし、少女たちが歌う鎮魂歌がラジオから流れてきて、それを聴いて心が動き、最終的にゴジラ抹殺のためにオキシジェン・デストロイヤーを使うことを承諾します。

最初のショックで心が弱っていたうえに、現実の悲惨さが覆いかぶさってきて、もうオキシジェン・デストロイヤーを使うしかないなと腹をくくったように見えます。

そして、研究資料を今度は静かに火にかけます。このとき、多分、彼の頭の中には、資料を燃やすだけでは足りず自分自身の命も断たなければならないと考えたんではないかと思います。

この見方が一番素直な見方なんじゃないかと思います。

次の説は少々、変化球です。

 

第二の説~オキシジェン・デストロイヤーを使わざるを得ないよう仕向けた

芹沢博士は、二人から説得を受ける前に、テレビで惨状を見ています。

このときの芹沢博士の体は、テレビとは別の向きになっていて、顔だけテレビに向けています。

もし、惨状に正面から向き合う気があるのであれば、体ごとテレビに向けるのではないかと思います。つまり、惨状は認識しながらも、それに対して真正面から向き合うことはできなかった、ということですね。

しかし、同時に罪悪感も感じていたのではないでしょうか。放射能を浴びても、なおかつ生命を維持しているゴジラに核兵器は通用しないとしたら、あとはもう自分の発明品でしかゴジラを抹殺できないということになります。

自分からは、どうにも踏み出せない。だから、それを山根恵美子(+付き合っている尾形)に託したという見方です。

簡単に言うと、自分で自分を説得できないから、他人に自分を説得してもらいたい、ということです。

オキシジェン・デストロイヤーの成果を見せれば、いずれ山根恵美子は尾形にそのことを打ち明け、ゴジラ抹殺のために自分を説得しようとするに違いない。

そうなることを見越したうえで、敢えてオキシジェン・デストロイヤーの効果を彼女に見せたということです。

こっちの方が、彼女に敢えてオキシジェン・デストロイヤーを見せた理由が立ちそうな気がします。

 

マンハッタン計画と芹沢博士

さて、ここで話題を変えて、米国の原爆開発プロジェクト「マンハッタン計画」について簡単に書いていこうと思います。

このプロジェクトが発端になって、冷戦時代に突入することになりますが、その流れは、芹沢博士が人間に対して抱いていた絶望と密接にかかわっているような気がします。

 

マンハッタン計画

米国政府は、当初、第二次世界大戦に対して不干渉の立場を採っていましたが、ドイツの科学者が核反応を発見し、やがてそれは、ドイツが原子爆弾を開発するのではないかという危機感に発展し、米国の科学者の間に広まっていきました。

そして、科学者たちはヒットラーが核兵器を持つという悪夢に対抗するために、ドイツに先んじて原爆を開発すべきと猛烈に政府にアピールします。そうした動きに米国政府が腰を上げた、原爆開発の経緯を簡単にまとめると、そういうことになるようです。

そして、政府の肝いりで「マンハッタン計画」という名の原爆開発プロジェクトが1943年、オッペンハイマーという科学者をリーダーに据えて発足します。

 

オッペンハイマーの人となりは専門書に譲るとして、原爆開発の様子を簡単に触れたいと思います。

 

このプロジェクトは、原爆を実際に爆発させる実験(トリニティ実験)の成功をもって収束します。1945年7月のことです。

しかし、実は科学者たちが脅威と考えていたドイツは、その直前に降伏しています。そして、蓋を開けてみれば、ドイツには原爆開発プロジェクトが存在しなかったことが判明します。

実際には、もっと前にスパイ活動を通じて、ドイツにはそのようなプロジェクトが動いていないこともわかっていたようなのですが、その事実は科学者たちには伏せられたまま、マンハッタン計画は進行していったようです。

ドイツが降伏するとなると、矛先は当然、日本に向かいます。そのときの科学者たちの考えは、投下に反対する声もあったのですが、「日本でアメリカ兵の命が奪われるなら、原爆を使うべき」という考えが大勢を占めていたようです。

しかし、皆さんご存知のように、その当時、日本にはまともに米国に反撃できるような戦力はありませんでした。

原爆の開発に成功し、プロジェクトが収束する方向に動き出すと、もはや原爆は政治的な駆け引きの道具と化していきました。

 

科学者たちのおおよその共通認識として、原爆を使うのは一回限りにして、その後は国際的な管理機構に原爆の管理を委ねるという考えだったようです。そのような枠組みを作らないと、核兵器の軍備拡大の競争に走り、もはや制御できない状態になるという認識です。まあ、真っ当な考えですね。

オッペンハイマーが所長の座を辞すときに、スピーチでそのような枠組みを設けることを切々と訴えています。

しかし、やはり政治の場では無力なんでしょう。科学者たちの想いとは別の方向に事態は走り出し、そのような機構は作られることなく、原爆よりも破壊力の高い水爆の開発へと事態はエスカレートし、結果的に、当時のソ連との間の軍拡競争への道をひたすら走ることになります。

 

マンハッタン計画に参加した科学者の中で、特に強力に原爆投下に反対した科学者は、シラードという科学者です。

原爆を使った途端、終わりのない軍備拡大の競争に発展することは明白なので、とにかく原爆の破壊力のデモンストレーションにとどめるべきと、いろいろな筋を通して働きかけていました。

しかし、そのときには日本の原爆投下の是非を問うような段階ではなく、どこに落とすかを検討しているフェーズに入っていて相手にしてもらえなかったようです。

 

ここで、現実を知らずに原爆を開発した科学者が悪いとか、科学者に現実を伝えずに原爆を政治的な道具として使った米国政府が悪い、という言い方はできるでしょう。実際、唯一の被爆国として糾弾するべき、というのは心情として理解できます。

 

ただ、それはそれとして、突き詰めていくと、根源的な問題が横たわっているように思います。

それは、物事はいったん走り出すと、得てして制御できない方向に進みがちであるということです。

もっと小さい単位に落とし込んで、たとえば、会社のビジネスを例にとっても事情は同じようなものだと思います。いろいろな利害関係が絡み出すと、当初の目論みとは外れた方向に走り出してしまうなんてことはザラにあります。

そういう方向に進む危険性を察知して身体を張って止めようとしても、止まることはまずありません。

じゃ、そこに悪者はいるんでしょうか。おそらく、関係している人に聞けば、「自分はそのときにできる最善のことをした」と答えるでしょう。

実際、のちになって、原爆開発に関わった科学者にその是非を聞いてみると概ね、反省すべき点はあるが、しかしあの時点では仕方がなかったという答え方をしているようです。

 

後になって「○○が実は正しい選択肢だったのだ」という批判はできるでしょう。しかし、その時点では○○は、当事者にとって数ある選択肢の一つだったわけです。○○という選択肢が正しいということは、その時点では証明のしようがなかったんじゃないかと思います。

うまくいけば、○○がよかったと取ってつけたような理由付けがされ、うまくいかなければ、○○が悪かったと、これまた取ってつけたような理由付けがされます。

 

そもそもマンハッタン計画などなければよかった、マンハッタン計画が諸悪の根源だというように断罪することもできるでしょう。でも、核反応がすでに研究で証明されている以上、その莫大なエネルギーを爆弾に転化できることは容易に想像できます。つまり、核兵器は遅かれ早かれ誕生したように思います。

 

何が言いたいのかというと、悪者を見つけることは難しいということです。

 

オッペンハイマーが原爆投下後、「科学者の罪を知った」と発言したことは有名ですが、少し離れた立場で見れば何か白々しく聞こえます。

 

一方、原爆投下に反対したシラードのような科学者が「良識的」という見方も、一面的な見方のように感じます。なんだかんだ言って、その危険性を認識したうえで、大量殺りく兵器の開発の必要性をいちはやく政府に訴えかけたのは彼ですから。

シラードは、その後、核兵器廃絶を訴える活動に身を投じますが、一貫して彼の政治的な立場は弱く、実際の影響力はあまりない、というところが実情だったようです。

 

核戦争を題材にした映画はありますが、その中で実際に観たことがある映画は「渚にて」と「博士の異常な愛情」です。

この二本の映画は、まったく毛色が異なります。

かたや、まるでピクニックでも撮影しているかのような映像の中に滅びゆく人類を落とし込み、そこはかとない恐怖や狂気を淡々と映し出している映画、かたや、軍部、政治家、科学者を徹底的におちょくったブラックユーモアたっぷりの映画です。

しかし、毛色は違えど、人間を愚かで滑稽な(そして可愛い、愛すべき)生き物という見方をしている点で共通しているような気がします。

 

芹沢博士の人間観も、そのような見方に立脚していたように思います。

彼が自らを犠牲にして、ゴジラを倒したという行為は尊いのでしょう。そうしなければ、被害はますます拡大し、日本という国体を維持することすら難しくなったでしょうから。

しかし、同時に救いのない結末であるとも言えます。自ら命を断つ以外に方法がなかった、ということは人間に対して深く絶望していたということになりますから。

 

最後に

本稿に書くにあたって、マンハッタン計画に興味が湧き、その計画を主導したオッペンハイマーがどんな人物かを知りたくて「オッペンハイマー」という分厚い本にチャレンジしたのですが、あえなく撃沈しました。

この本、ピュリッツァー賞を受賞した有名な本なのですが、文章がすごくわかりにくかったからです。多分、この本の訳文が自分の肌に合わなかったんでしょう。文章を理解するのに、ものすごくエネルギーが要るため、最初の数ページで挫折しました。

代わりに中公新書から出ている、やはり同じ題名の「オッペンハイマー」という本を読みました。こちらは薄くて、しかも日本人が書いた本なので理解しやすい本でした。

それからその他の本をつまみ食いしたり、ネットの情報を検索したりと、自分なりに調べたつもりですが、誤っている内容があればご容赦ください。

らーめんデータベースの話その2、支那そばや

そろそろラーメン以外のネタを書きたいなと思っていたところですが、データベースに入っているデータを眺めているうちに、意に反して、書きたいと思うことが沸々と湧いてきました。

いささかワンパターン化していると思いつつ、ここで吐き出しておかないと後で絶対に後悔すると思い、想いを吐き出すことにします。

そういう意味では、この前のブログの続き物になります。いい加減、この流れを断ち切らないとラーメンブログになってしまいそうですな。

前のブログはこちら。

yorozu831.hatenadiary.jp

何を書きたくなったのかというと、ラーメンを食べて感動したという話です。

お店の一覧を見つつ、あんな店で食べたな、あそこの店は美味しかったなどと感慨にふけっていたのですが、そう言えばラーメンを食べて感動したことがあったな、と。

そう、ラーメンを食べて感動したことが二回だけあります。

 

普通は「すげえ、美味い」と思うことは、あるんですが、感動するってことはあまりないですよね。あくまでも庶民的な食べ物であって、高級料理のように食べて感動する料理ではないように思います。まあ、高級料理でないと感動しないという見方は偏見かもしれませんが。

 

もちろん「美味いな」と感じたラーメンはたくさんあるのですが、その中でも、この二回は忘れ得ない思い出です。

その二回とは、支那そばや(ラーメン博物館)と流星軒というお店で食べたときの感動です。支那そばやのラーメンは、その優しい味わいに感動し、流星軒のラーメンは、その抜群のセンスのよさに感動しました。

今回は、支那そばやさんに焦点を当てて書いていきたいと思います。

 

下の画像は、食べて感動した「絹腰和伊麺醤油」という名前のラーメンです。

 

当時のレポートはこちら。

https://www.kawaya3.shop/raumen/cgi-bin/ra-men/pl/data.pl?ID=313



支那そばやは、ラーメン好きであれば知らぬ人はいない、通称ラーメンの鬼、佐野実さんが創業した有名なラーメン屋さんです。

昔のラーメンブームの折には、テレビにちょくちょく出演し、終始しかめっ面をし、他人の作ったラーメンに強烈なダメ出しを出すなど、まさに鬼を体言化したような方です。

でもね、後で書きますが、それはテレビ用のポーズであって、本当はすごく優しい人なんだと思います。佐野実さんを師と仰ぐ人は多数いますし、人望があった人ですからね。

佐野さんの簡単なプロフィールはこちら。ちなみに佐野さんは2014年4月11日にお亡くなりになっています。

 

佐野さんの下で修業した人が、日本全国各地でラーメン屋さんを開業しています。支那そばやという屋号を継いだ店もあれば、違う屋号のお店もあります。

いまでは支那そばやの本店は神奈川県の戸塚にありますが、その前は藤沢市の鵠沼にありました。

この鵠沼にあった本店というのが、いわくつきの店でして。

具体的な文言は忘れてしまいましたが、要するに「ラーメンは黙って食え」という内容の張り紙が貼ってあります。私語を発すると、すかさず店員さんに注意されます。気が散るから黙って食え、ということですね。

そして、その張り紙に書かれているように、お客さんは黙々とラーメンを食べます。なんでしょうね。異様な緊張感が店内を支配しています。

店のレイアウトもちょいと変わっています。

店内は、厨房を囲む形でカウンターが並んでいます。厨房の面積がやたら広く取られているため、カウンターと後ろの壁との間のスペースが狭くて、やっと人ひとりが通れるくらいのスペースなんです。壁を背負って食べているような感覚で、窮屈なこと、この上ありません。

とにかくラーメン至上主義が露骨に出ているようなお店だったんです。

 

自分が鵠沼店を訪問したのは、2000年3月17日です。

当時、佐野実さんは、この店をお弟子さんに譲り、活動の拠点をラーメン博物館に移していました。ですから、佐野実さん本人はいませんでした。

ちなみに鵠沼のお店は2004年に閉店しています。

 

それで、鵠沼本店で食べたときの感想を書きます。

実はあまりいい印象ではなかったんです。

 

丸鶏ベースのスープなんですが、鶏の臭みが強烈に出ていて閉口しました。名店にあるべからず臭み。

それから、湯切りを担当している方が新人の店員さんらしく、その店員さんの横に、ベテランと思しき店員さんがべったりと張り付いてその所作を監視しています。指導するでもなく、アドバイスするでもなく、ただ立ってひたすら湯切りを見ているだけです。

で、湯切り担当の店員さん、緊張のあまり、湯切りが滅茶苦茶になっています。平ざるで湯切りをするのですが、ぼろぼろと麺がざるから落ちちゃっています。異様な光景でした。

 

こんな感じで、ラーメン以外にもなんだかなと思うところもあったのですが、そもそもスープがよくないと、それに引きずられて全体的な印象も悪くなりますね。

 

というわけで支那そばやの印象はすこぶる悪かったのですが、気を取り直して、3年後、2003年2月4日にラーメン博物館に行き、支那そばやのラーメンを食べました。

「店内、喋るべからず」系の張り紙はありません。厨房が奥まったところにあるから、店員さんがお客さんの喋り声を「うるせえな」と思うこともないでしょうし、そもそもラーメン博物館の「いろいろなラーメンを楽しく食べてもらいたい」というスタンスとも合わないでしょうから。

 

ラーメンのスープを一口飲んだときに、その優しい味にびっくりしました。

なんでしょうね、「こんな感じでいかがでしょうか」と差し出す感じなんです。

 

美味しい店をざっくりと分けると、作り手の満足を優先させる店と、お客さんに届けようとする店の二つに分かれるように思います。

 

前者は、求道者的と言えばいいんですかね、お客さんの目線に立つよりも自分が求める高みへと一直線に進んでいくタイプと言えば伝わるでしょうか。食べてみると、ちょっと尖った感じがします。

このカテゴリーに入るお店としては、69’ROLL ONE(ろっくんろーるわん)というお店があります。

いまは店をたたみ、確か関西の方に店を出していたと思います。

これまた、古いラーメンの話になるので恐縮なのですが。

(2号ラァメン、2006年12月1日)

 

食べたときのデータはこちら。

https://www.kawaya3.shop/raumen/cgi-bin/ra-men/pl/data.pl?ID=436

 

店主さんが前に働いていたキリン食堂のレポートはこちら。

https://www.kawaya3.shop/raumen/cgi-bin/ra-men/pl/data.pl?ID=147

 

ここのお店の店主は、キリン食堂という神奈川県の相模原にある店から独立した方で、佐野さんをたいそうリスペクトしていた方です。

その69’ROLL ONEのラーメンは何回か食べたことがありますが、「俺が研究に研究を重ねてたどり着いたラーメンだ。どうだ、美味いだろ」と言われているように感じました。実際に美味かったのでいいですけど。

 

後者は、もちろん高みを目指すけれども、お客さんに気持ちを届ける、といったらいいんでしょうか、あるいは、相手にじんわり沁み込むような角のないラーメンと言ったらいいんでしょうか、そんな感じのラーメンです。

 

それで、支那そばやのラーメンを食べて、後者のカテゴリーに入るように感じました。

スープを一口飲むと、味の輪郭がすごくはっきりしていて、旨味が体に沁み込むようなラーメンでした。

高みを目指す上昇志向は感じられるんですが、お客さん置いてけぼりでどんどん上を目指す、という感じではなかったんです。

まあ、正直、意外でした。

鵠沼本店を訪問したときの印象もよくなかったし、佐野実さんと言えば、眉間にしわを寄せた強面の表情しか浮かびませんでしたから。

同時に、その日を境に佐野さんに対する認識も変わったように思います。

 

だいぶ前になりますが、佐野実さんと大勝軒の店主の山岸さんが、若手の新鋭のラーメンを食べて評価するというテレビ番組がありました。

ラーメン界のカリスマ二人がガチで評価するわけですから、評価される側もさぞかし胃が痛かったでしょう。

そのときの佐野さんは「鬼」ではなく、いたって普通の人でした。

よいラーメンには絶賛の声を惜しまなかったし、よくないと感じたラーメンにはアドバイスを出すしと、気のいいオヤジぶりを発揮していました。こうして見ると、以前は、テレビ受けのために、あえてヒール役を演じていたのではないかと思います。

 

確かにラーメンに対してはものすごくストイックな方なんですが、それ以外のところは、すごく人間的な方だったんじゃないでしょうか。そんな気がします。

 

さて、「支那そばや」つながりで、最後に鶴ヶ峰店に触れたいと思います。

 

食べたときのレポートはこちら。

https://www.kawaya3.shop/raumen/cgi-bin/ra-men/pl/data.pl?ID=453

 

いまは閉店しています。お弟子さんが店を継いでいて「くぼ田」という店になっています。くぼ田には、2年くらい前に訪問しています。確かに支那そばやの遺伝子が継承されているなあ、と思いました。

鶴ヶ峰店は、古参のお弟子さんが暖簾分けで操業していたお店で、鵠沼本店とは違って、「店内はお静かに」系の張り紙はありません。店内はファミレスみたいな感じです。本店と違ってテーブル席もあり、ファミリー仕様になっていますね。

この辺は、本店の雰囲気を変えたいという店主さんの思いがあったんでしょうか。

 

そして実際、支那そばやのテイストを受け継ぎつつ、気取ったところのない、庶民性を打ち出したラーメンのように感じました。



らーめんデータベース付け足し

前のブログで書いたとおり、データベースに入っているデータは、20年くらいの前のデータが中心になるので、データの価値という意味ではほとんど価値はありません。

それに当時はまだ駆け出しの青二才だったので、書いている内容も「・・・」という感じです。

 

自分に何の取柄もなかったので、なんか自分にもトレードマークのようなものが欲しいと考え、
当時のラーメンブームに乗って食べ歩きを始めたのが経緯だったと思います。

いま思えば若気の至りっていうやつですね。

 

ラーメンの食べ歩きを始めた真意は、ラーメンって好きな人が多くてたいていの人と盛り上がることができるし、本格的な料理と違って一杯たかだか1000円もかからないから通い回ればツウぶることができる、というところでしょう。

ラーメンブームの風がすごかったですから、当時。

20年くらい前は、第何次のラーメンブームだかは知りませんが、テレビでラーメンチャンピオンの大会が開催され、ラーメン本が次々から本屋の店頭を賑わせていました。

そういう流れを受けて、ラーメンを食べるときに、レンゲですくったスープのにおいを嗅ぐやつとかツウぶった輩が出てきたんです。なんだかラーメン評論家化現象とでもいうような現象が起きていました。

今から思うと、自分も含めてつくづくアホだったと思います。でもまあ、アホなりに食べ歩いた結果、普通に好きな人よりは多少、ウンチクみたいなものは語れるようになったとは思います。

今後もたまに気が向いたらラーメンを食べようと思いますが、基本的にレポートに書くのは、よい印象を持ったお店だけですね。

あまりよい印象が持てなかったお店については何も書かないでしょう。文句ばっかり言ってもしょうがないですし、こうすればいいみたいな提言は素人のくせに出しゃばり過ぎているし、それに書いた後で自分の浅はかなモノの見方に後悔することも多いので、いいことがありませんから。

 

古いラーメンの話ばかりしているので、たまには都心に出て、一世を風靡しているお店に行きたいもんです。

らーめんデータベース発掘とレンタルサーバーの話

前にブログで触れたラーメンデータベースを昔のパソコンから発掘しました。

ないないと思っていたんですが、あるもんですね。

随分前に買ったパソコンで、いまやメインのマシンが不調のときにしか使わなくなってしまったんですが、もしやと思い探してみたら、ありました。

すっかりなくなったと思っていたので、何だか古い友人に会ったような感覚です。

 

それで、今使っているレンタルサーバーにコンテンツをアップしてみたんですが、何も手を加えなくても動きました。

www.kawaya3.shop

前のブログで書いたように、最初、会社の同僚と遊びで作っていたものをレンタルサーバーにアップしたものです。

確か、初期にはMicrosoftのIIS + SQLServer + ASPという環境で動かしていたものをPerlに移植し、レンタルサーバーにアップしたんだと記憶しています。

 

処理もデータも当時のままなのですが、見た目を変えています。

あまりにもレイアウトのセンスが悪すぎたので、余計な装飾を取り払っています。そうは言っても、これはこれでシンプル過ぎるので、凝り過ぎない程度に少しずつ見た目を変えていこうと思います。

表示項目もデータもほぼ当時のままです。

ほぼ当時の機能は復活できていると思うのですが、機能をぜんぶ試したわけではないので、ページにたどり着けないエラーが残っているかもしれません。徐々に直るものだと生暖かい目で見ていただけると嬉しいです。

 

データはだいたい20年前に作られているので、なくなってしまった店も多いだろうし、味も変わってしまっただろうしと、今のラーメンを語るうえではほとんど価値がありません。

ただ、辞書も作っているので、これは役に立つかもしれません。

 

https://www.kawaya3.shop/raumen/cgi-bin/ra-men/pl/dic_index.pl

 

主にラーメン本を参考に、ラーメンの用語をまとめたもので、たとえば、この前の記事に「家系」の話を書きましたが、この辞書にも家系の項目があります。

https://www.kawaya3.shop/raumen/cgi-bin/ra-men/pl/dic_cont.pl?ID=2

 

所詮素人が趣味で作っている辞書ですから、100パーセント信頼が置けるわけではありませんが、何かと参考になるかもしれません。

つけ麺の発祥とか、味噌ラーメン誕生の経緯などを掲載しています。



ちなみに、以前のブログで触れた壱六家(本店)のデータも残っていました。

 

https://www.kawaya3.shop/raumen/cgi-bin/ra-men/pl/data.pl?ID=16

 

初回の訪問が1999年10月16日、2回目の訪問が2007年2月28日です。

どちらの訪問もおおむね好評だったみたいです。

 

それから、その系列を組む松壱家のデータも残っています。

 

 https://www.kawaya3.shop/raumen/cgi-bin/ra-men/pl/data.pl?ID=60

 

こちらのお店に2回訪問した記録が残っていますが、訪問回数は実際にはもっと多いはずです。藤沢に用がある際には、よく行っていたように記憶しています。

1回目の訪問では好評だったのですが、マイルド系家系に飽きてきたんですかね。2回目の訪問では、いまいち気乗りしない感想になっていますwww。

 

あと、静雨庵のデータも残っていました。

 

https://www.kawaya3.shop/raumen/cgi-bin/ra-men/pl/data.pl?ID=45

 

前に書いたブログでは、ラーメンの値段をよく覚えていないと書きましたが、通っていた当時の値段はなんと400円。約20年前とは言え、破格の値段ですね。

訪問した記録が2つ残っています。おそらく実際にはもっと通っていると思います。

最初の訪問ではいい印象だったのに、2回目の訪問の感想は辛辣ですねwww。

まあ、同じ店でも味がぶれることはよくあるし、そのときどきの体調や気分で感想が左右されることもあるでしょう。

それから、最初のインパクトが強くても、時間とともに見方も冷静になっていき、次の訪問時には冷めた見方になることもよくあります。

しかし、どのみち客観的な記事とは到底言い難いので、あまり、感想をあてにしない方がよいようです。

 

ところでレンタルサーバーを借りて運用していたラーメンデータベースですが、ひとつ悩みの種がありました。

それは、レンタルサーバーの容量が少なかったということです。

データベースには、お店に関する文字情報だけでなく、写真も掲載しているのですが、写真データが溜まってくると容量が楽勝で100メガ単位になります。

当時使っていたレンタルサーバーの容量がどのくらいか忘れてしまいましたが、1台のレンタルサーバーには入りきらないため、別のレンタルサーバーを借りて、写真データを分散させていました。

そう、管理がめんどくさいんです。

 

いま、使っているレンタルサーバーは無料プランで10GBの容量を貸してくれます。

現在の写真データの容量は200MBちょっとなので、それを全部入れても痛くもかゆくもありません。

いま使っているレンタルサーバーは、GMOという会社が運営しているValue-Domainというサービスで、使っているサーバーはXREAという無料のサーバーです。

こちらの会社の回し者でもないので、すごくお勧めという立場で語るつもりはないんですが、無料で10GB貸してくれるのだから気前がいいな、という印象を持っています。

 

実は、ラーメンデータベースだけでなく、乃木坂46の情報を入れたデータベースも運用しているのですが、そのデータベースのデータをブログに切り貼りしています。

たとえば、こんな感じです。

 

乃木坂46のメンバーの卒業時年齢と卒業生の在籍年数の統計情報を表示させています。

実際のコードはこうなっています。

<iframe src="https://www.kawaya3.shop/nogizaka/member.php" name="ifr1" width="100%" height="300" frameborder="0"></iframe>
<form accept-charset="utf-8" method="post" name="ifrform1" action="https://www.kawaya3.shop/nogizaka/member.php" target="ifr1">
<input type="hidden" name="items" value="卒業時年齢,卒業生の在籍年数">
<input type="hidden" name="filter" value="">
<input type="hidden" name="REPLACE" value="卒業時の年齢と在籍年数">
<input type="hidden" name="LOCALCALL" value="yes">
<input type="hidden" name="DISPOPTION" value="staticonly,nohead,nofoot,scale:0.5">
</form>
<script>
<!--
document.ifrform1.submit();
-->
</script>

大事なところは、黄色くハイライトした箇所です。

ここで、「卒業時年齢」と「卒業生の在籍年数」を表示せよという指示と、表示項目は「統計情報だけ」にせよという指示を出しています。

何も指定してないと、表示項目はメンバーの一覧とその統計情報になります。

簡単に言うと、メンバーの一覧は要らんから、とにかく「卒業時年齢」と「卒業生の在籍年数」の統計情報だけ出せ、という指示を出しています。

 

しかし、本来であれば、この統計情報の上に広告が表示されるはずです。

無料のレンタルサーバーの場合、ページの先頭に広告が表示されるようになっているからです。

でも、おまじないをかけて広告を非表示にしています。

おなじないをかけないと、切り貼りしている箇所の先頭に広告が表示されるため、その分、表示領域が狭くなり、見づらくなるからです。

レンタルサーバーの仕様で「おまじないをかけて広告を消すのは構わんが、その代わりページのトップに広告出してね」という決まりがあります。ですから、このままだと規約違反になってしまうので、はてなブログの先頭に必ず広告を表示するように設定しています。

このブログ記事の先頭にスクロールすると、広告が表示されていますね。これです(パソコンで見るときには表示されるようですが、スマホで見るときには表示されないみたいです)。

 

ラーメン関係の記事も書くようになりましたが、その記事の内容とラーメンデータベースを紐づけるかどうかは決めていません。

たとえば、ブログの記事に「家系」という言葉が出てきたら、その言葉にリンクを付けて、リンクをクリックしたときに、データベースの中にある「家系」解説を表示させるというような紐づけ方もやろうと思えばできます。

でも、その前に、データベースのフォルダー構成がぐちゃぐちゃになっていたり、スクリプトの書き方がえらく汚かったりするので、まずそちらに手入れするのが先ですね。

食べたラーメンの感想は、このデータベースには登録せずに、従来どおりブログに投稿していくつもりです。

 

 

以上、こんな感じで運用していまーすという簡単な紹介でした。

何かの参考になってくれたら嬉しいです。



何かここのところブログに書く内容が、ラーメンとアイドルに偏っている気がするので、音楽や映画とかの記事も書いていきたいと思います。

祝データベース復活と変な技術用語(正規表現、連想配列)

以前のブログで軽く「乃木坂データベース」について触れましたが、その続編です。前のブログはこちら。

yorozu831.hatenadiary.jp

それで、データベースはこちらです。

www.kawaya3.shop

乃木坂データベースとは、名のとおり、乃木坂46に関する情報をデータベース化したものです。

メンバーの生年月日や卒業日などの情報を一覧形式で見ることができます。

あと、フィルターとソートの機能が付いていて、任意の条件で見ることもできます。

手前みそになりますが、フィルターとソートはこんな感じです。

データを「1期生」で絞り込み、選抜回数の多い順にソートをかけたところです。

ただ、データベースに付き物のクエリー処理や検索処理は備わっていません。きっといつか作るんでしょうが、実装までの道のりは相当に遠いと思います。そういう意味では真のデータベースとはいいがたく、今のところ単なるデータ閲覧ツールです。

 

今回のブログは技術的な内容がちょこちょこと出てきますが、そういうのに疎い人は読み飛ばしちゃってください。

それに大して深い話でもないので、少し調べただけで何を言っているのかわかると思いますので、興味のある方は調べてみてください。今回のブログでは、用語の解説は端折っています。

 

前のブログにも書きましたが、なんでこんなデータベースを作ったかというと、まず、データを使って分析できたら面白かろうという想いと、ブログと連動するようにしたら面白かろうという想いがありました。

それから、最近のWeb開発事情にすっかり疎くなったので、少し勉強したほうがいいかなと思ったという側面もあります。以前に少しだけWeb開発に関わったことがあるのですが、いろいろと楽しかったので、あの楽しみをもう一度というところですね。

しかし、まあ物事、思ったとおりには運びませんな。その辺の話はあとで書きます。

 

Web開発を仕事としてバリバリやってきたわけではないので、バリバリやっている人から見れば、「わかってねえなあ、この人」という突っ込みは多々あるんじゃないかと思いますが、まあ生暖かい目で見てくれると嬉しいです。

 

レンタルサーバーを引っ越した理由ですが、前のレンタルサーバーの容量が少ないことが理由です。お金を払えば容量を増やせるのですが、そこまでするほどの熱意もないので、無料のレンタルサーバーに引っ越した、ということです。

今までと違ってページの上部に広告が表示されますけど、まあ、しかたないでしょう。

 

移行に立ちはだかった課題とその対処

乃木坂データベースの処理は、Perlという言語で実装していました。

自分のパソコンの環境はもちろん、前のレンタルサーバーでも問題なく動いていたのに、新しいレンタルサーバーではなぜか動きませんでした。

どこでエラーを起こしているのかまではわかったのですが、なぜエラーになるのかさっぱりわかりませんでした。

具体的には、Perlのパッケージを呼び出している部分なのですが、原因不明。海外の英語版のページを含めていろいろと探しまくったのですが、エラーの原因がわかりませんでした。

いろいろと試してみたのですが、万策尽きたところでPHPに変えたら動くかもしれないと、なんの根拠もなくPHPという言語への乗り換えを始めました。

PHPの経験はまったくなかったのですが、Perlによく似た言語で比較的、習得するのは簡単でした。

それと処理がある意味、ワンパターンになっていて、簡単に言うと「データをそのまま一覧にしているだけ」なので、メニューが1つうまく移行できれば、後はそれを真似っこすれば簡単にできるというわけです。

 

Perlという言語はよくも悪くも「緩い」言語で、配列の要素がなくてもエラーにならず、そのまま処理が通ってしまうため、想定していないケースでもそれなりに動いてしまいます。

今回、PHPに移行したおかげで、ロジックの抜けが何箇所か見つかったので、そういう意味ではよかったかもしれません。

それとPHPでは、普通の配列と連想配列を区別しないところが気に入りました。

 

ところで、PHPやPerlでお馴染みの技術用語の中に、前々から「この技術用語、変だよ」と思っていたものがあるので、この機会に書いてみたいと思います。

具体的には「正規表現」と「連想配列」です。

 

変な言葉その1「正規表現」

テキスト処理で大活躍する「正規表現」ですが、前々からこの言葉、変だと思っていました。

どこで生まれた言葉かわかりませんが、もともと海外の技術用語(regular expression)だったので、それが日本に入ってきたときに誰かが「正規表現」と訳し、それが定着してしまった、というのが裏事情ではないかと思います。

英語のプロではないため、言っていることに自信があるわけではないのですが、「regular expression」が本来意味するところは、「規則(パターン)に従った式」なのではないかと思います。

「regular」を辞書で引くと「規則正しい」とか「正規の」とか「いつもの」とかいう訳が載っていますね。

「expression」を辞書で引くと、「表現」とか「顔つき」とか「式」とかいう訳が載っています。

辞書の訳をくっつけて「正規表現」にしたんだと思います。

「正規表現」をそのまま日本語として解釈すると、「正しい規則に従った表現」、あるいは「正しい規則に従って表現したもの」となると思います。

100%間違っているわけではないのでしょうが、正直「なんかずれてません?」と思います。

「expression」は「式」ですよね。こんなやつなんで。

[\w/:%#\$&\?\(\)~\.=\+\-]+

自分だったら「バターン式」とかにするんじゃないかなと思います。

実際、文字のパターンを定義する式なんで、この方がいいんじゃないかと。

 

とはいえ、今となっては「正規表現」撲滅運動を起こしても、何ともなりませんが(笑)。

 

変な言葉その2「連想配列」

これも海外から輸入された技術用語だと思います。元の言葉は「associative array」です。

これも変な言葉なんですが、ここで使われている「連想」は大ウソなので、「正規表現」よりも罪が深いんじゃないかと思います。

「連想」というと、AとくればB(Aで想起される言葉はB)、というパターンの言葉だと思います。たとえば、「北国と言えば雪」みたいな感じの使い方です。

でも、「associative array」の「associative」が言っていることは、「紐づけ」という意味なんじゃないでしょうか。辞書で言えば「関連付け」という訳がそれに当てはまると思います。

 

「associative array」は、キーとそれに対応する値のペアを格納する配列のことです。ということなので、「associative」は、キーと値の紐づけ(関連付け)を指しているように思います。

いや、どう好意的に解釈しようと「連想」は相当遠いと思います。直感的に理解することはまず不可能なんじゃないでしょうか。

まあ、いまさらですが、「紐づけ配列」とかの方がいいんじゃないかなあ。名前がちょっとダサいので、「マップ配列」とか。

 

まあ、すでに言葉として定着してしまった今となってはどうにもなりませんが。