かわや(旧よろずや)のブログ

好きな乃木坂、映画、漫画などについて語ります。

乃木坂懺悔室、おひとりさま天国の解釈、間違えてました

久方ぶりの乃木坂46関係の記事です。

前にブログで、32枚目シングル『おひとりさま天国』に関する記事を書いたのですが、その内容が間違っている気がとてもしてきたので、訂正してお詫びします系の記事を書きたいと思います。

2024年1月27日付記

井上和さんの性格の説明が足りなくて、全体的な論旨がわかりにくくなっているので、追加書きしました。

 

前の記事の訂正です。前の記事はこちら。

yorozu831.hatenadiary.jp

アンダー楽曲『踏んでしまった』をテーマにした記事なのですが、その中で『おひとりさま天国』の歌詞について、こんなことを書いています。

~33枚目シングル『おひとりさま天国』のリリースに際して、作詞家の秋元康さんがセンターの井上和さんに送ったメッセージが、「一見、一人であることを勧めているように見えるが、実はみんなでいることの重要性を言っている」というような主旨だったそうなのですが、それを聞いて少し頭がくらくらしました。

少なくとも自分の頭では、あの歌詞の中から、そういう要素がいっさい汲み取れません。まあ、そういうことを汲み取れない自分の頭が悪いのだ、ということなのでしょう。

秋元康さんの歌詞に批判めいたことを書いてしまいましたが、自分の認識に誤りがあったようです。

そうは言っても依然として、『おひとりさま天国』の歌詞から「ひとりだけじゃなくて、みんなでいることの重要性」という意味は、やはり汲み取りづらいのですが。

ちなみに、『おひとりさま天国』を題材として書いたブログがこちらです。

yorozu831.hatenadiary.jp

 

この記事の中で書いているように、『おひとりさま天国』の歌詞は、一見、おひとりさまを謳歌しているように見えて、実はそういう自分に居心地の悪さを感じているのでは、と考えています。

なんとなく強がって無理をしているのではないかと。

この辺のところを広げていけば、「無理しなくていいんだよ」→「やっぱり一人だけでなく、皆に心開いた方がいいんじゃないかな」というメッセージになるのかもしれません。やや強引な感じがしますが、そう捉えてもあながち間違えではないなと。

だとしたら、先の秋元さんが井上さんに送ったメッセージ「ひとりだけじゃなくて、みんなでいることの重要性」というメッセージが、歌詞に込められているという見方もできますね。

このメッセージを直接的な表現に置き換えると、「抱え込まないようにね、もっと他人をあてにしていいんだよ」ということだったんでしょう、多分。

それは、自己肯定感がとても低い山下美月さんに、彼女のセンター曲『僕は僕を好きになる』で、「もっと自分のこと、好きになっていいんだよ」というメッセージを送ったのと同じような性質のものなんだと思います。

 

というわけで、前のブログで批判めいたことを書いてしまいましたが、間違っていたと思います。

もし気分を害された方がいたら、伏してお詫び申し上げます。

でも、それ以上に致命的な欠陥があります。

それは、そもそも、そういうメッセージがなぜ彼女に向けられたのかについて何も書いていない、ということです。

我ながら浅はかだったと思います。

 

というわけで、「おひとりさま」というワードと井上和さんとの関係について書いてみたいと思います。

 

井上和さんのことを少し深掘りすることになりますが、多分に自分の想像が入っています。

あまりアテにならないと思いますが、まあ、娘二人を育ててきた経験もあるので、ある程度、女性のメンタルの形成過程を理解しているつもりです。なので、当たらずといえども遠からずではないかと勝手に思っています。

 

では、井上和さんのことを少し深掘りしてみたいと思います。

 

「おひとりさま」な井上和さん

井上和さんがなんで「おひとりさま」なのかについて、いろいろと想像を膨らませて考えてみたいと思います。それから、ついでなので、彼女から感じる「ダークサイド」のオーラについても触れたいと思います。

 

おひとりさまな理由について考える

井上和さん、見てのとおりの超絶美少女なわけです。こんな子を街で見かけたら、たいていの人は思わず視線で追ってしまうでしょう。

こういう人の境遇というのは、それと同じ境遇の人にしかわからないでしょうから、彼女のメンタルがどうなっているかは理解しにくいところがあるのですが、ただ、あれだけの美貌の持ち主だと、当然、同性からも異性からも特殊な目で見られることは間違いないと思います。

 

同性からは憧れや賞賛だけでなく、妬みや嫉みの対象になることも多いんじゃないかと思います。女の人の世界って、どろどろしていますからね。

何事も感情より合理的な判断が優先する男性には理解しにくい世界ですが、そういうどろどろした世界ですから、陰湿な仕打ち(たとえば故意に無視されたりとか)を受けたこともあるかもしれません。

 

それから、異性からも特別な目で見られることが多いでしょうね。フランクに接してくれる人もいるでしょうが、一定の距離を置かれてしまうことも多いのではないかと思います。

つまり、同性からも異性からも特別扱いされ、距離を置かれてしまうということですね。

それが、井上さんの本意とはかけ離れていたとしたら、日常的に少しつらい思いをしていたのではないかと思います。

いずれにしても、特別な目で見られてきたでしょうから、そういう境遇がご本人にとっては息苦しく感じられる、というのは容易に想像できます。

 

今度は視点をちょっと変えます。

彼女、歌姫としての実力もすごいですね。

 

乃木坂46の5期生は歌うまの子が多いと評判ですが、5期生 だけでなく、乃木坂全体で見ても、中西アルノさんとツートップを張っているように思います。

超乃木坂スター誕生という5期生の冠番組がありますが、歌のコーナーで彼女がひな壇で見せる姿が、他の子と違っていることがときどきあります。

特に歌うまの子が歌っているときに顕著なのですが、他の子たちが手をたたいていたり、体を左右に振ってリズムをとっていたりするのに、彼女だけ微動だにせずに、じっと聞き入っていることがあります。

そういう様子を見ると、歌に対していかに彼女がストイックであるかがわかります。

 

彼女に自分の歌の話を聞くと、「まだまだ自分は。。。」とことあるごとに謙遜した答えを返していますが、裏を返せば、非常に高い目標を持っているということです。それだけのルックスを持っているんだから、何もそこまでとわれわれ凡人は思うわけですが、そういうのとは次元が違う世界にいるっていうことですね。

それに、負けず嫌いの性格もあいまって、やたらと自分に高いハードルを課しているように見えます。

 

ストイックな性格は、他の人から理解されにくい性質を持っていると思います。

たとえば、お友達の前で彼女がカラオケで歌ったとしますね。皆に褒められて一応、ありがとう系のレスをお友達に返しても、本心は納得していないとしたら、それは周りの人間に気取られてしまうでしょう。そして、お友達は内心、白けてしまうと思います。

お友達は「それだけ歌うまいんだから、今のままでいいじゃん」と思うでしょうし、井上さんは「いや、そうは言うけど。。。やっぱり理解してもらえないかな」と思うでしょう。

ま、実際にカラオケでそういうことが起こったかどうかはわかりませんが、それに類することは起きていたのではないかと思います。

 

簡単にまとめると、彼女のようなルックス、ストイックさは、どうしても人を遠ざけてしまう、ということです。

 

つまり、人との間に壁ができてしまうわけですが、性格的に見てそれとは逆方向の傾向も見えます。それは、彼女が「お母さんタイプ」であることです。

彼女が笑ったときの表情なんですが、鼻の根というんですかね、鼻の上の方に皺ができることがよくあります。この皺ができる人は「お母さんタイプ」であることが多いようです。ま、あくまでも私個人の主観なんですが。

 

乃木坂46の歴代メンバーの中で、この特徴が顕著に出るお方は、2期生北野日奈子さんですね。まだ結婚もされていないし、当然、まだ子供いないのですが、なんか「元気なお母さん」というイメージがあると思います。

現役で活躍されているアイドルの中では、この傾向が強く出ている方は櫻坂46の松田里奈さんです。櫻坂46の冠番組『そこ曲がったら、櫻坂?』の一場面を切り抜きました。鼻の上の方、根の方と言うんですかね、皺が寄っているのがおわかりいただけると思います。

 

この「お母さんタイプ」というのは、わかりやすく言い換えると、世話好きな人ということです。

なんで井上さん自身の笑顔の絵を貼り付けないのかという突っ込みもあるでしょうが、ちょうどいい素材がなかったので松田里奈(マツリ)ちゃんの絵を持ってきました。あと、単純にマツリちゃんが好きだっていう理由もあるんですがwww。

 

井上和さんも多分、お世話されるよりもお世話する方が好きなタイプでしょう。困っている人がいたら放っておけないでしょうし、自分のことを頼りにされるとすごく嬉しく感じるんじゃないかと思います。

自分の見立てでは、このタイプの方は、家庭的な人が多いようです。

さて、もし、この推測が合っていたとしたら、人との間に距離ができてしまうのは彼女にとって本意ではなかったのではないかという気がします。

距離を詰めたいと思っても、距離ができてしまうとすれば、決して埋め合わせができない溝みたいなものですから、ある種「どうせわかってもらえない」的な諦めにも似た感情も芽生えるでしょう。当然、少し斜めに構えたような姿勢になるでしょうし、相手との間に壁を築いてしまうようになるように思います。

しかし、表面的にはそう見えても、いったん距離が詰まると、非常に暖かい人なんじゃないかと思います。

 

群れることを好まず、一人行動を好むという発言をしていますが、前述したことが原因でそうなったんじゃないかと想像します。

経験則でいうと、そういうメンタリティの持ち主は、得てして、物事を自分で抱え込んで、他人に相談しようとせず、自分の中で何とか解決しようとしてもがくのですが、他人にそういう姿を気取られるのがいやで自分の世界に籠りがちになる傾向があるように思います。

去年、ステージの袖で、一人で泣いていたなんて話を聞きますね。

 

ただ、そんな彼女にとって5期生メンバーとの出会いは大きかったでしょうね。

同じ目標に向かってお互いに切磋琢磨できる環境は、彼女にとって願ってもない環境だったでしょう。

中でも歌い手として尊敬できる中西アルノさんの存在は大きいと思います。

しかも、アルノさんは「もっと自分の気持ちを吐き出して」と彼女にラブコール(って言うのかな?)を送っています。

ともすれば一人行動が多かった彼女にとって、この数年、同期と過ごした経験が、気持ちに変化を与えているのではないかと想像しています。

 

同期の存在だけでなく、それ以外にもいい傾向がありますね。

去年の夏以降、先輩たちから「和」と下の名前で呼び捨てにされることが多くなっていますね。それだけ人間関係が深くなったということを表していると思います。

おそらく最初は「和ちゃん」と呼ばれていたと思います。

 

先輩が後輩を呼ぶときに、姓で呼ぶことは少ないと思います。たとえば、「井上さん」という呼び方です。これだとよそよそしい。だから「和ちゃん」という呼び方になると思います。いきなり「和」と呼び捨てにすると、さすがに距離詰め過ぎで、呼ぶ側も呼ばれる側もバツの悪い思いをしますね。

でも、互いの距離が近くなってくると、「和ちゃん」→「和」というように呼び捨てになります。

 

確か、「おひとりさま天国」のリリースの後に、賀喜遥香さんや遠藤さくらさんと井上和さんが、よく一緒になってメディアに露出することが増えましたが、あるとき、ご両人から井上和さんのことを「和」と呼び捨てになったのを覚えています。「おお、距離が縮まったのね。よかったな」と思いました。

想像するに、おそらく先輩たちも彼女が抱え込む性格なのがわかっているでしょうから、陰に陽にサポートしてあげているんじゃないかと思います。

 

自分の中では「アイドルになる」ということは、「自分の居場所を見つける」という定義です。まあ、誰にでも当てはまる普遍的なテーマなのかもしませんが、特に、アイドルという職業にはそういう感じを強く受けます。

 

表現力が強い人に特有なダークサイド

話がまたまた変わります。

こんなことを書くとディスっていると思われるでしょうが、彼女からは「ダークサイド」を感じます。なんかスターウォーズみたいな話ですが。

ダークサイドという言い方は変かもしれませんが、「闇の部分」とか「病んでいる部分」という言い方に置き換えてもいいです。まあ、エヴァンゲリオンみたいなアニメが持つ独特の「負」の要素みたいなもんです。

 

人間誰しも後ろ暗い部分は持っていますよね。いわゆる「表裏」の「裏」の部分です。

しかし、特に表現力の強い人は、その「裏」の部分の闇が濃くなる傾向があるように思います。

具体的な事例で言うと、他の人には理解できない性癖、他の人が知ったら引いてしまうような趣味、とかいうようなものです。

 

これは、好むと好まざるにかかわらず表現力と引き換えに持ってしまう負の要素なんじゃないかと思うんです。言ってみれば、人間の持って生まれた業のようなもので、仕方のないことなんじゃないかと。

で、このダークサイド、表現力が高ければ高い程、強くなるんではないかと思うんですね。

話が極端になりますが、たとえば、音楽の世界の天才っていますね。学校の音楽教室の壁に大作曲家の肖像画がべたべた貼ってあるのを見た人は多いと思います。

あの肖像画の中でまともな人間はバッハくらいで、それ以外の人間は人格破綻者と見てほぼ間違いありません。

ベートーベンにしろ、モーツァルトにしろ、ロクでもない人間ばかりです。

肖像画は、その性格上、偉人っぽい描かれ方になっていますが、しかし実態は、どうしようもなく偏屈、偏執狂、お下劣、女たらし、不潔とロクな人間がいません。

大作曲家にまつわるロクでもないエピソードはいくらでもあるのですが、例を一つ。ブラームスにはかつて許嫁がいたことがあります。しかし、その女性を結婚間近でふっています。どういう物言いで彼女をふったのか興味のある人は調べてください。ブラームスの人非人(サイコ?)ぶりがよくわかります。

繰り返しますが、大作曲家をディスるつもりはありません。ただ、才能とダークサイドはセットみたいなものだということです。

 

話のベクトルの向きがちょいずれた感じがしますね。例が極端だったため、かえって話を分かりにくくしたきらいがありますが、なんにせよ、才能のある人は変な人間が多いという話です。

 

それで話を元に戻しますが、表現力が高い井上和さんにも、そういう要素が大なり小なりあるのではないのかな、と思う次第です。

 

乃木坂の中でダークサイドを明確に感じる人は、今まで齋藤飛鳥さんだったんですが、5期生が入ってきたから一挙に三人に増えました。

井上和さんのほかに、池田瑛紗さん、中西アルノさんの都合お三方です。

5期生が加入したときに「ビジュアルが、ビジュアルが」とビジュアル面を取り沙汰されることが多かったように記憶していますが、個人的には、今までの乃木坂にないキャラクターが入ってきたと思いました。「運営さんも思い切ったことをしたもんだ」と当時、思っていました。

 

過激な発言かもしれませんが、このお三方にはアイドルであることを忘れて、たまには負の部分をさらけ出してもらったら面白いんじゃないでしょうかね。

テレパンにシュールで意味不明な漫画を描いてもらったり、何を言っているのかわけのわからない歌を中西アルノさんと井上和さんに熱唱してもらったりとか。まあ、やるわけはないでしょうけど。

 

まとめ

いろいろと書いてきましたが、井上和さんには、いい意味でもっと「ずるく」なってくれたらいいなと思います。

たとえば、ステージでは何かと話を振られることが多いと思いますが、あまり話が思いつかなかったら、そういうのが得意なメンバー(一ノ瀬美空さんとか菅原咲月さんとか)に話を振ってしまうとか、そういうことです。

あまり当意即妙な受け答えは得意にしていないように見えるので、無茶ブリでもいいから、そういうのが得意な人に話を振ってしまえば、自分が楽になるし、振ってしまった人の受け答えのテクニックを盗めるしと一石二鳥です。

まあ、そういうテクニックは自然に身に付いていくものですから、きっと心配には及ばないのでしょう。生暖かく見守りたい思います。