世間的にはゴジラマイナスワンがヒットしているようですが、ちょっと興味があったので、初代のゴジラを初めて観ました。初代ゴジラとは、ゴジラシリーズの最初の映画、1954年上映の白黒映画です。
これから、映画のざっとした感想、特に登場する科学者に焦点を当てていろいろと書いていきますが、内容的にネタバレありです。なので、内容を知りたくない方は、ここで引き返すことをお勧めします。
それと、第二次世界大戦時に米国で発足した原爆開発プロジェクト「マンハッタン計画」についても触れます。このプロジェクトを主導したオッペンハイマーは映画にもなっていますが、今年には日本で公開される感じになっていますね。
さて、初代ゴジラを観た感想です。
いや、すごかったです。
終わり方がかなりえぐいです。
ゴジラも、そしてゴジラを葬る科学者も悲劇性を背負っていて、この悲劇性の二重奏がおもりになって、ゴジラが倒されてもハッピーエンドになりません。
凡百の映画だったら、ゴジラを葬る博士は「自分の開発した技術は絶対に悪用させない」と独白し、感動的な音楽が流れ、という結末になりますが、そんなちんけな終わり方はしません。
お気づきの方も多いと思いますが、ゴジラと芹沢博士が海底で死を迎えるときに流れる音楽は、ゴジラの被害を受けた人々が担ぎ込まれる施設の場面で流れる音楽と同じです。この音楽は、おそらく犠牲者を弔う音楽(つまり鎮魂歌)ではないのかと思うのですが、ゴジラと芹沢博士の死も鎮魂歌で送る、ということになります。
この記事では、物語の軸となる主要な登場人物、特に芹沢博士を中心に、また「マンハッタン計画」という原爆開発プロジェクトに関わったオッペンハイマーとシラードという二人の科学者を絡めて書いていこうと思います。
初代ゴジラ映画の感想
まずは、映画全体の簡単な感想を手短に。
上映が1954年、終戦が1945年ですから、戦後9年経過していますね。
まだ、戦争の爪痕が色濃く残っているようで、戦争のときの話がいろいろと出てきます。
「せっかく長崎の被爆を免れたのに疎開しなくてはならないなんて」みたいな発言も出てきます。
それと、最初の方でゴジラに襲われて沈没する漁船も、アメリカの水爆実験で被爆した第五福竜丸を彷彿とさせます。
放射能を浴びたゴジラと、唯一の被爆国である日本が同じ核兵器の被害者という視点が描かれていますね。
英語の冒頭、「東宝」のタイトルバックの後に、「ゴジラ」の3文字だけスクリーンに大写しになり、突然、地響きのような足音がします。多分、その当時の観客は度肝を抜かれたんじゃないかと思います。それと、聞いたことのない咆哮。
この始まり方、シンゴジラでも受け継がれていますね。
まだ特撮が成熟していたとは言えない状況で、今みたいにCG合成なんて技術もない時代ですから、特撮映像の迫力がイマイチなのも致し方ないところでしょう。
ゴジラが口から吐き出す熱線もただの煙に見えます。その点、大映がゴジラに負けじと作ったガメラは、口から火炎放射を吐き出しますね。当時(1965年11月27日封切)としては、すごい技術的進歩だったんじゃないかと。
あと、ゴジラを自衛隊がミサイルで攻撃するシーンがあるのですが、あんなにでかい標的をハズシまくり、一発もミサイルが当たりません。多分、ミサイル攻撃を受けたときの爆発をリアルに見せようとすると、ゴジラの着ぐるみが損傷してしまうからではないかと思います。
今から見ると、特撮のみならず、人間ドラマとして見ても、いろいろと突っ込みどころがあると思いますが、さっき書いたとおり、人間の本質に迫るような暗い結末が、他の凡百の映画と一線を画しているのではないかと思います。
主要人物を軸にした見方
まず、主要人物を整理したいと思います。自分なりに整理したのが下の絵です。
映画の世界では定番だと思いますが、最初の登場シーンで、その人物の性格付けがされています。
映画のシーケンスを追いながら、それぞれの性格付けを見ていきたいと思います。
尾形秀人と山根恵美子
まず、尾形秀人と山根恵美子(山根博士の娘)です。二人は恋人同士です。
この二人は劇中、一緒に登場します。
尾形秀人は、遭難した船舶を救援する会社(サルベージ会社)に勤めている男性です。二人は尾形の会社にいて、これから映画館に繰り出そうとしています。
さあこれから出ようとするところで、電話が鳴り、沈没した船の救出に向かうよう指示を受けます。
おそらく会社でシャワーを浴び(つまりそれまで仕事だった)、いよいよ彼女を伴って映画に観に出ようとしていた、まさにそのときの電話です。
精悍な顔立ちで、ランニング姿でいかにも精力的に動く人間のように見えます。
急な要請を受けて仕事場に出なくてはならなくなった尾形秀人を、山根恵美子は「お仕事だからしょうがない」と快く送り出します。こういうときに、いろいろ女性から文句を言われて、「面倒くさい」説得を試みた男性は多数いるでしょう。そういうところがないという意味で、男性を立てる大和撫子風の女性というように描かれています。
また、山根親子とともに、ゴジラに襲われた村を調査するために、調査船に乗り込みますが、二人が今度の調査に対する話をし始めたときに、唐突に尾形秀人が望遠鏡を覗き込みます。
まだ船出したばかりで、ゴジラがいない海域で望遠鏡を覗き込んで何なんだと思いますが、「俺は自分の見たものしか信じない」と言っているようにも見えます。つまり、彼が徹底したリアリスト、ということを意味しているのかもしれません。
事実、この後で説明する、理想主義(科学至上主義)の山根博士との間で、ゴジラに対する考えが対立し口論になります。山根博士とは対極的な位置づけの人間として設定されたのかもしれません。
山根博士
初登場シーンは、ゴジラに襲われた村の調査のため、国会に召喚されて意見を述べます。
意見を述べるように促されたときに、背広の前のボタンを締めた後にネクタイがべろんと外に出ているのに気づいて慌ててネクタイをしまおうとしています。あまりこういう場に出ることがないのか、いかにも世事に疎そうな感じが出ています。
そして、さっき説明したように、のちのち尾形秀人とゴジラの扱いについて意見が割れ、口論になります。
ゴジラをいち早く抹殺すべきとする尾形に対して、山根博士は研究対象とすべき(放射能を浴びても生きながらえているゴジラの生命力を研究すべき)と意見が対立します。そして、いじけて自室に籠ってしまいます。子どもっぽい人として描かれています。
芹沢博士
芹沢博士は、主要人物の中で一番最後に登場します。
調査船に乗り込んだ山根恵美子を見送るために、ひっそりと港に姿を表します。少し心配そうな表情を浮かべているのですが、そこからは人物像が読めない、ちょっと謎めいた登場のしかたですね。実際、彼のセリフは極端に少ないため、なかなか人物像がつかみづらいところがあります。
上の絵を見てわかるように、身なりがきちんとしています。細身のイケメンですね。
もとは快活な好青年だったのに、戦争で傷を受けて片目に眼帯をかけるようになってから、研究所にこもりきりになり、あまり外に出なくなったということになっています。
はっきりした発言は劇中ないのですが、引き籠るようになった理由は、人間のエゴをさんざん見せられて人間不信になったからなのではないかと思います。
戦争というものは、ある意味、人間(ないしは国家)のエゴの産物です。互いのエゴがぶつかって話し合いではどうにもならなくなったため殴り合い(戦争)になるわけです。
戦争では人間同士が殺し合いをするわけですから、当然、戦争の醜さを目の当たりにすることになります。
そして、そういう人間のエゴの醜さを、傷という形で顔に刻印されています。つまり、忘れようにも忘れられない形で身体と心に刻みつけられてしまったということになります。
人間はそのエゴが故に破壊的な方向に走る生き物なのだということを骨身にまで刷り込まれたのかもしれません。
しかも、そういう悲劇性だけではなく、人間としての欲望も背負っている人間として描かれているように思います。
それがはっきり出るのが、自身の発明品「オキシジェン・デストロイヤー」(水中の酸素を破壊し、水中の生物を窒息死させる化学薬品)を山根恵美子に見せるときです。
「君と僕だけの秘密」として発明品を見せるわけですが、秘密を共有するということは特別な関係になるということです。それから、自分自身が世界的な大発明をしたという顕示欲もあるでしょう。つまり、男性との優位性を見せたかったということです。
しかも、この発明品が生物を骨にしてしまい、その後はその骨すらも溶解してしまうという、とんでもなくグロい化学兵器です。そんなものを女性に見せたら、すごくショックを受けるくらい簡単にわかるはずです。
マッドサイエンティストとしての片鱗なんでしょう、魚が泳いでいる水槽の中に「オキシジェン・デストロイヤー」を投入します。
案の定、山根恵美子はグロテスクな光景を見せられて気を失いそうになりますが、かなり大胆に彼女の身体に接触しながら彼女を抱きかかえます。
いや、そもそも彼女に実験を見せる前から、彼女の両肩を腕でつかんだりと恋人同士でなければできないような体の接触をしています。恋人以外の関係でこんな接触の仕方をしたら、普通に嫌われますって。
そこで思うのが、このときの芹沢博士の様子が、性的な欲望を表しているように見える、ということです。
彼女にオキシジェン・デストロイヤーを見せたのも、そういうよこしまな気持ちがあったように見えます。
ただ、このとき、芹沢博士が何を考えてオキシジェン・デストロイヤーを見せたのかについては、自分の中で二つの説があり、見ようによっては、そういうよこしまな気持ちはなかったとも考えられます。
あとで詳しく説明します。
いずれにせよ、芹沢博士は自身を犠牲にした高潔な科学者ではなく、煩悩を抱えながら葛藤している非常に人間臭い人物として描かれているように思います。
さて、これで一通り、主要な人物が登場しました。
ここから先は、映画の筋を追わずに、芹沢博士がオキシジェン・デストロイヤーでゴジラを抹殺しようと決意するに至った経緯と、芹沢博士を原爆開発プロジェクト「マンハッタン計画」と絡めて書いていこうと思います。
芹沢博士の決意
芹沢博士は基本的にオキシジェン・デストロイヤーの使用には否定的でした。そんなもの使ったら、後で取り返しのつかないことになる(政治に利用されてコントロールできない状況になる)と考えていたからですね。この考え方は、マンハッタン計画に参加した科学者の中にもありました。
では、なぜゴジラを抹殺のために使おうと決意したんでしょう。
自分の中では説が二つあります。
第一の説~山根恵美子の裏切り
まず、直接の引き金となったのは、山根恵美子の裏切りでしょう。
二人だけの秘密にしていたことを山根恵美子が尾形秀人に漏らしたことにショックを受け、自暴自棄になり、研究資料を燃やそうとします。
つまり、人間不信に陥っていた芹沢博士にとって、山根恵美子は唯一の希望であり、研究室に籠り切りになっている自分と、外の世界をつなぐ唯一の線だったのではないかと思います。それがぷっつりと切れて自暴自棄になったわけですね。
しかし、少女たちが歌う鎮魂歌がラジオから流れてきて、それを聴いて心が動き、最終的にゴジラ抹殺のためにオキシジェン・デストロイヤーを使うことを承諾します。
最初のショックで心が弱っていたうえに、現実の悲惨さが覆いかぶさってきて、もうオキシジェン・デストロイヤーを使うしかないなと腹をくくったように見えます。
そして、研究資料を今度は静かに火にかけます。このとき、多分、彼の頭の中には、資料を燃やすだけでは足りず自分自身の命も断たなければならないと考えたんではないかと思います。
この見方が一番素直な見方なんじゃないかと思います。
次の説は少々、変化球です。
第二の説~オキシジェン・デストロイヤーを使わざるを得ないよう仕向けた
芹沢博士は、二人から説得を受ける前に、テレビで惨状を見ています。
このときの芹沢博士の体は、テレビとは別の向きになっていて、顔だけテレビに向けています。
もし、惨状に正面から向き合う気があるのであれば、体ごとテレビに向けるのではないかと思います。つまり、惨状は認識しながらも、それに対して真正面から向き合うことはできなかった、ということですね。
しかし、同時に罪悪感も感じていたのではないでしょうか。放射能を浴びても、なおかつ生命を維持しているゴジラに核兵器は通用しないとしたら、あとはもう自分の発明品でしかゴジラを抹殺できないということになります。
自分からは、どうにも踏み出せない。だから、それを山根恵美子(+付き合っている尾形)に託したという見方です。
簡単に言うと、自分で自分を説得できないから、他人に自分を説得してもらいたい、ということです。
オキシジェン・デストロイヤーの成果を見せれば、いずれ山根恵美子は尾形にそのことを打ち明け、ゴジラ抹殺のために自分を説得しようとするに違いない。
そうなることを見越したうえで、敢えてオキシジェン・デストロイヤーの効果を彼女に見せたということです。
こっちの方が、彼女に敢えてオキシジェン・デストロイヤーを見せた理由が立ちそうな気がします。
マンハッタン計画と芹沢博士
さて、ここで話題を変えて、米国の原爆開発プロジェクト「マンハッタン計画」について簡単に書いていこうと思います。
このプロジェクトが発端になって、冷戦時代に突入することになりますが、その流れは、芹沢博士が人間に対して抱いていた絶望と密接にかかわっているような気がします。
マンハッタン計画
米国政府は、当初、第二次世界大戦に対して不干渉の立場を採っていましたが、ドイツの科学者が核反応を発見し、やがてそれは、ドイツが原子爆弾を開発するのではないかという危機感に発展し、米国の科学者の間に広まっていきました。
そして、科学者たちはヒットラーが核兵器を持つという悪夢に対抗するために、ドイツに先んじて原爆を開発すべきと猛烈に政府にアピールします。そうした動きに米国政府が腰を上げた、原爆開発の経緯を簡単にまとめると、そういうことになるようです。
そして、政府の肝いりで「マンハッタン計画」という名の原爆開発プロジェクトが1943年、オッペンハイマーという科学者をリーダーに据えて発足します。
オッペンハイマーの人となりは専門書に譲るとして、原爆開発の様子を簡単に触れたいと思います。
このプロジェクトは、原爆を実際に爆発させる実験(トリニティ実験)の成功をもって収束します。1945年7月のことです。
しかし、実は科学者たちが脅威と考えていたドイツは、その直前に降伏しています。そして、蓋を開けてみれば、ドイツには原爆開発プロジェクトが存在しなかったことが判明します。
実際には、もっと前にスパイ活動を通じて、ドイツにはそのようなプロジェクトが動いていないこともわかっていたようなのですが、その事実は科学者たちには伏せられたまま、マンハッタン計画は進行していったようです。
ドイツが降伏するとなると、矛先は当然、日本に向かいます。そのときの科学者たちの考えは、投下に反対する声もあったのですが、「日本でアメリカ兵の命が奪われるなら、原爆を使うべき」という考えが大勢を占めていたようです。
しかし、皆さんご存知のように、その当時、日本にはまともに米国に反撃できるような戦力はありませんでした。
原爆の開発に成功し、プロジェクトが収束する方向に動き出すと、もはや原爆は政治的な駆け引きの道具と化していきました。
科学者たちのおおよその共通認識として、原爆を使うのは一回限りにして、その後は国際的な管理機構に原爆の管理を委ねるという考えだったようです。そのような枠組みを作らないと、核兵器の軍備拡大の競争に走り、もはや制御できない状態になるという認識です。まあ、真っ当な考えですね。
オッペンハイマーが所長の座を辞すときに、スピーチでそのような枠組みを設けることを切々と訴えています。
しかし、やはり政治の場では無力なんでしょう。科学者たちの想いとは別の方向に事態は走り出し、そのような機構は作られることなく、原爆よりも破壊力の高い水爆の開発へと事態はエスカレートし、結果的に、当時のソ連との間の軍拡競争への道をひたすら走ることになります。
マンハッタン計画に参加した科学者の中で、特に強力に原爆投下に反対した科学者は、シラードという科学者です。
原爆を使った途端、終わりのない軍備拡大の競争に発展することは明白なので、とにかく原爆の破壊力のデモンストレーションにとどめるべきと、いろいろな筋を通して働きかけていました。
しかし、そのときには日本の原爆投下の是非を問うような段階ではなく、どこに落とすかを検討しているフェーズに入っていて相手にしてもらえなかったようです。
ここで、現実を知らずに原爆を開発した科学者が悪いとか、科学者に現実を伝えずに原爆を政治的な道具として使った米国政府が悪い、という言い方はできるでしょう。実際、唯一の被爆国として糾弾するべき、というのは心情として理解できます。
ただ、それはそれとして、突き詰めていくと、根源的な問題が横たわっているように思います。
それは、物事はいったん走り出すと、得てして制御できない方向に進みがちであるということです。
もっと小さい単位に落とし込んで、たとえば、会社のビジネスを例にとっても事情は同じようなものだと思います。いろいろな利害関係が絡み出すと、当初の目論みとは外れた方向に走り出してしまうなんてことはザラにあります。
そういう方向に進む危険性を察知して身体を張って止めようとしても、止まることはまずありません。
じゃ、そこに悪者はいるんでしょうか。おそらく、関係している人に聞けば、「自分はそのときにできる最善のことをした」と答えるでしょう。
実際、のちになって、原爆開発に関わった科学者にその是非を聞いてみると概ね、反省すべき点はあるが、しかしあの時点では仕方がなかったという答え方をしているようです。
後になって「○○が実は正しい選択肢だったのだ」という批判はできるでしょう。しかし、その時点では○○は、当事者にとって数ある選択肢の一つだったわけです。○○という選択肢が正しいということは、その時点では証明のしようがなかったんじゃないかと思います。
うまくいけば、○○がよかったと取ってつけたような理由付けがされ、うまくいかなければ、○○が悪かったと、これまた取ってつけたような理由付けがされます。
そもそもマンハッタン計画などなければよかった、マンハッタン計画が諸悪の根源だというように断罪することもできるでしょう。でも、核反応がすでに研究で証明されている以上、その莫大なエネルギーを爆弾に転化できることは容易に想像できます。つまり、核兵器は遅かれ早かれ誕生したように思います。
何が言いたいのかというと、悪者を見つけることは難しいということです。
オッペンハイマーが原爆投下後、「科学者の罪を知った」と発言したことは有名ですが、少し離れた立場で見れば何か白々しく聞こえます。
一方、原爆投下に反対したシラードのような科学者が「良識的」という見方も、一面的な見方のように感じます。なんだかんだ言って、その危険性を認識したうえで、大量殺りく兵器の開発の必要性をいちはやく政府に訴えかけたのは彼ですから。
シラードは、その後、核兵器廃絶を訴える活動に身を投じますが、一貫して彼の政治的な立場は弱く、実際の影響力はあまりない、というところが実情だったようです。
核戦争を題材にした映画はありますが、その中で実際に観たことがある映画は「渚にて」と「博士の異常な愛情」です。
この二本の映画は、まったく毛色が異なります。
かたや、まるでピクニックでも撮影しているかのような映像の中に滅びゆく人類を落とし込み、そこはかとない恐怖や狂気を淡々と映し出している映画、かたや、軍部、政治家、科学者を徹底的におちょくったブラックユーモアたっぷりの映画です。
しかし、毛色は違えど、人間を愚かで滑稽な(そして可愛い、愛すべき)生き物という見方をしている点で共通しているような気がします。
芹沢博士の人間観も、そのような見方に立脚していたように思います。
彼が自らを犠牲にして、ゴジラを倒したという行為は尊いのでしょう。そうしなければ、被害はますます拡大し、日本という国体を維持することすら難しくなったでしょうから。
しかし、同時に救いのない結末であるとも言えます。自ら命を断つ以外に方法がなかった、ということは人間に対して深く絶望していたということになりますから。
最後に
本稿に書くにあたって、マンハッタン計画に興味が湧き、その計画を主導したオッペンハイマーがどんな人物かを知りたくて「オッペンハイマー」という分厚い本にチャレンジしたのですが、あえなく撃沈しました。
この本、ピュリッツァー賞を受賞した有名な本なのですが、文章がすごくわかりにくかったからです。多分、この本の訳文が自分の肌に合わなかったんでしょう。文章を理解するのに、ものすごくエネルギーが要るため、最初の数ページで挫折しました。
代わりに中公新書から出ている、やはり同じ題名の「オッペンハイマー」という本を読みました。こちらは薄くて、しかも日本人が書いた本なので理解しやすい本でした。
それからその他の本をつまみ食いしたり、ネットの情報を検索したりと、自分なりに調べたつもりですが、誤っている内容があればご容赦ください。