そろそろラーメン以外のネタを書きたいなと思っていたところですが、データベースに入っているデータを眺めているうちに、意に反して、書きたいと思うことが沸々と湧いてきました。
いささかワンパターン化していると思いつつ、ここで吐き出しておかないと後で絶対に後悔すると思い、想いを吐き出すことにします。
そういう意味では、この前のブログの続き物になります。いい加減、この流れを断ち切らないとラーメンブログになってしまいそうですな。
前のブログはこちら。
何を書きたくなったのかというと、ラーメンを食べて感動したという話です。
お店の一覧を見つつ、あんな店で食べたな、あそこの店は美味しかったなどと感慨にふけっていたのですが、そう言えばラーメンを食べて感動したことがあったな、と。
そう、ラーメンを食べて感動したことが二回だけあります。
普通は「すげえ、美味い」と思うことは、あるんですが、感動するってことはあまりないですよね。あくまでも庶民的な食べ物であって、高級料理のように食べて感動する料理ではないように思います。まあ、高級料理でないと感動しないという見方は偏見かもしれませんが。
もちろん「美味いな」と感じたラーメンはたくさんあるのですが、その中でも、この二回は忘れ得ない思い出です。
その二回とは、支那そばや(ラーメン博物館)と流星軒というお店で食べたときの感動です。支那そばやのラーメンは、その優しい味わいに感動し、流星軒のラーメンは、その抜群のセンスのよさに感動しました。
今回は、支那そばやさんに焦点を当てて書いていきたいと思います。
下の画像は、食べて感動した「絹腰和伊麺醤油」という名前のラーメンです。
当時のレポートはこちら。
https://www.kawaya3.shop/raumen/cgi-bin/ra-men/pl/data.pl?ID=313
支那そばやは、ラーメン好きであれば知らぬ人はいない、通称ラーメンの鬼、佐野実さんが創業した有名なラーメン屋さんです。
昔のラーメンブームの折には、テレビにちょくちょく出演し、終始しかめっ面をし、他人の作ったラーメンに強烈なダメ出しを出すなど、まさに鬼を体言化したような方です。
でもね、後で書きますが、それはテレビ用のポーズであって、本当はすごく優しい人なんだと思います。佐野実さんを師と仰ぐ人は多数いますし、人望があった人ですからね。
佐野さんの簡単なプロフィールはこちら。ちなみに佐野さんは2014年4月11日にお亡くなりになっています。
佐野さんの下で修業した人が、日本全国各地でラーメン屋さんを開業しています。支那そばやという屋号を継いだ店もあれば、違う屋号のお店もあります。
いまでは支那そばやの本店は神奈川県の戸塚にありますが、その前は藤沢市の鵠沼にありました。
この鵠沼にあった本店というのが、いわくつきの店でして。
具体的な文言は忘れてしまいましたが、要するに「ラーメンは黙って食え」という内容の張り紙が貼ってあります。私語を発すると、すかさず店員さんに注意されます。気が散るから黙って食え、ということですね。
そして、その張り紙に書かれているように、お客さんは黙々とラーメンを食べます。なんでしょうね。異様な緊張感が店内を支配しています。
店のレイアウトもちょいと変わっています。
店内は、厨房を囲む形でカウンターが並んでいます。厨房の面積がやたら広く取られているため、カウンターと後ろの壁との間のスペースが狭くて、やっと人ひとりが通れるくらいのスペースなんです。壁を背負って食べているような感覚で、窮屈なこと、この上ありません。
とにかくラーメン至上主義が露骨に出ているようなお店だったんです。
自分が鵠沼店を訪問したのは、2000年3月17日です。
当時、佐野実さんは、この店をお弟子さんに譲り、活動の拠点をラーメン博物館に移していました。ですから、佐野実さん本人はいませんでした。
ちなみに鵠沼のお店は2004年に閉店しています。
それで、鵠沼本店で食べたときの感想を書きます。
実はあまりいい印象ではなかったんです。
丸鶏ベースのスープなんですが、鶏の臭みが強烈に出ていて閉口しました。名店にあるべからず臭み。
それから、湯切りを担当している方が新人の店員さんらしく、その店員さんの横に、ベテランと思しき店員さんがべったりと張り付いてその所作を監視しています。指導するでもなく、アドバイスするでもなく、ただ立ってひたすら湯切りを見ているだけです。
で、湯切り担当の店員さん、緊張のあまり、湯切りが滅茶苦茶になっています。平ざるで湯切りをするのですが、ぼろぼろと麺がざるから落ちちゃっています。異様な光景でした。
こんな感じで、ラーメン以外にもなんだかなと思うところもあったのですが、そもそもスープがよくないと、それに引きずられて全体的な印象も悪くなりますね。
というわけで支那そばやの印象はすこぶる悪かったのですが、気を取り直して、3年後、2003年2月4日にラーメン博物館に行き、支那そばやのラーメンを食べました。
「店内、喋るべからず」系の張り紙はありません。厨房が奥まったところにあるから、店員さんがお客さんの喋り声を「うるせえな」と思うこともないでしょうし、そもそもラーメン博物館の「いろいろなラーメンを楽しく食べてもらいたい」というスタンスとも合わないでしょうから。
ラーメンのスープを一口飲んだときに、その優しい味にびっくりしました。
なんでしょうね、「こんな感じでいかがでしょうか」と差し出す感じなんです。
美味しい店をざっくりと分けると、作り手の満足を優先させる店と、お客さんに届けようとする店の二つに分かれるように思います。
前者は、求道者的と言えばいいんですかね、お客さんの目線に立つよりも自分が求める高みへと一直線に進んでいくタイプと言えば伝わるでしょうか。食べてみると、ちょっと尖った感じがします。
このカテゴリーに入るお店としては、69’ROLL ONE(ろっくんろーるわん)というお店があります。
いまは店をたたみ、確か関西の方に店を出していたと思います。
これまた、古いラーメンの話になるので恐縮なのですが。
(2号ラァメン、2006年12月1日)
食べたときのデータはこちら。
https://www.kawaya3.shop/raumen/cgi-bin/ra-men/pl/data.pl?ID=436
店主さんが前に働いていたキリン食堂のレポートはこちら。
https://www.kawaya3.shop/raumen/cgi-bin/ra-men/pl/data.pl?ID=147
ここのお店の店主は、キリン食堂という神奈川県の相模原にある店から独立した方で、佐野さんをたいそうリスペクトしていた方です。
その69’ROLL ONEのラーメンは何回か食べたことがありますが、「俺が研究に研究を重ねてたどり着いたラーメンだ。どうだ、美味いだろ」と言われているように感じました。実際に美味かったのでいいですけど。
後者は、もちろん高みを目指すけれども、お客さんに気持ちを届ける、といったらいいんでしょうか、あるいは、相手にじんわり沁み込むような角のないラーメンと言ったらいいんでしょうか、そんな感じのラーメンです。
それで、支那そばやのラーメンを食べて、後者のカテゴリーに入るように感じました。
スープを一口飲むと、味の輪郭がすごくはっきりしていて、旨味が体に沁み込むようなラーメンでした。
高みを目指す上昇志向は感じられるんですが、お客さん置いてけぼりでどんどん上を目指す、という感じではなかったんです。
まあ、正直、意外でした。
鵠沼本店を訪問したときの印象もよくなかったし、佐野実さんと言えば、眉間にしわを寄せた強面の表情しか浮かびませんでしたから。
同時に、その日を境に佐野さんに対する認識も変わったように思います。
だいぶ前になりますが、佐野実さんと大勝軒の店主の山岸さんが、若手の新鋭のラーメンを食べて評価するというテレビ番組がありました。
ラーメン界のカリスマ二人がガチで評価するわけですから、評価される側もさぞかし胃が痛かったでしょう。
そのときの佐野さんは「鬼」ではなく、いたって普通の人でした。
よいラーメンには絶賛の声を惜しまなかったし、よくないと感じたラーメンにはアドバイスを出すしと、気のいいオヤジぶりを発揮していました。こうして見ると、以前は、テレビ受けのために、あえてヒール役を演じていたのではないかと思います。
確かにラーメンに対してはものすごくストイックな方なんですが、それ以外のところは、すごく人間的な方だったんじゃないでしょうか。そんな気がします。
さて、「支那そばや」つながりで、最後に鶴ヶ峰店に触れたいと思います。
食べたときのレポートはこちら。
https://www.kawaya3.shop/raumen/cgi-bin/ra-men/pl/data.pl?ID=453
いまは閉店しています。お弟子さんが店を継いでいて「くぼ田」という店になっています。くぼ田には、2年くらい前に訪問しています。確かに支那そばやの遺伝子が継承されているなあ、と思いました。
鶴ヶ峰店は、古参のお弟子さんが暖簾分けで操業していたお店で、鵠沼本店とは違って、「店内はお静かに」系の張り紙はありません。店内はファミレスみたいな感じです。本店と違ってテーブル席もあり、ファミリー仕様になっていますね。
この辺は、本店の雰囲気を変えたいという店主さんの思いがあったんでしょうか。
そして実際、支那そばやのテイストを受け継ぎつつ、気取ったところのない、庶民性を打ち出したラーメンのように感じました。
らーめんデータベース付け足し
前のブログで書いたとおり、データベースに入っているデータは、20年くらいの前のデータが中心になるので、データの価値という意味ではほとんど価値はありません。
それに当時はまだ駆け出しの青二才だったので、書いている内容も「・・・」という感じです。
自分に何の取柄もなかったので、なんか自分にもトレードマークのようなものが欲しいと考え、
当時のラーメンブームに乗って食べ歩きを始めたのが経緯だったと思います。
いま思えば若気の至りっていうやつですね。
ラーメンの食べ歩きを始めた真意は、ラーメンって好きな人が多くてたいていの人と盛り上がることができるし、本格的な料理と違って一杯たかだか1000円もかからないから通い回ればツウぶることができる、というところでしょう。
ラーメンブームの風がすごかったですから、当時。
20年くらい前は、第何次のラーメンブームだかは知りませんが、テレビでラーメンチャンピオンの大会が開催され、ラーメン本が次々から本屋の店頭を賑わせていました。
そういう流れを受けて、ラーメンを食べるときに、レンゲですくったスープのにおいを嗅ぐやつとかツウぶった輩が出てきたんです。なんだかラーメン評論家化現象とでもいうような現象が起きていました。
今から思うと、自分も含めてつくづくアホだったと思います。でもまあ、アホなりに食べ歩いた結果、普通に好きな人よりは多少、ウンチクみたいなものは語れるようになったとは思います。
今後もたまに気が向いたらラーメンを食べようと思いますが、基本的にレポートに書くのは、よい印象を持ったお店だけですね。
あまりよい印象が持てなかったお店については何も書かないでしょう。文句ばっかり言ってもしょうがないですし、こうすればいいみたいな提言は素人のくせに出しゃばり過ぎているし、それに書いた後で自分の浅はかなモノの見方に後悔することも多いので、いいことがありませんから。
古いラーメンの話ばかりしているので、たまには都心に出て、一世を風靡しているお店に行きたいもんです。