かわや(旧よろずや)のブログ

好きな乃木坂、映画、漫画などについて語ります。

櫻坂46の10枚目シングルがすごい、すごく哲学的?!

古い話になります。

去年の10月にリリースされた櫻坂46の10枚目シングルのお話です。

表題曲の『I want tomorrow to come』、BUCKS楽曲の『僕は僕を好きになれない』、3期生楽曲『本質的なこと』のMVを見ていたく感銘を受けて、早速、記事にしようとしたのですが、仕事が超多忙になってしまい、年明けを迎え、ようやく記事にできました。

 

いや、何がすごいって、3本のMVが「生き方三パターン」とでもいうようなシリーズ物のMVに仕上がっているように見えることです。

表題曲は最終的に他者に自分を投げかけることに救いを求め、BUCKS曲は救いのない世界に陥ってしまい、3期生楽曲は自身を肯定することに救いを見出す、という3パターンを描いているように見えます。

そして、その背景にはびんびんに哲学が入っているように見えます。

その辺について、妄想全開でお届けしたいと思います。

 

そういう哲学的要素が入っているかどうかはともかくとしても、MVのクオリティーがめちゃめちゃ高いと思います。ここ最近の坂道グループのMVの中でも出色の出来栄えではないかと思います。

おそらく、海外のマーケットも意識した「鼻息の荒い」MVなんでしょう。

 

それにしても、櫻坂46の勢いはすごいですね。いまや飛ぶ鳥を落とす勢いです。

いま、YouTubeの再生回数やオリコンチャートなどのデータを記録しているのですが、やっぱり櫻坂46は強い印象です。

データが溜まってきたら、いずれ分析して何らかの形で出すつもりです。


表題曲「I want to come tomorrow」

 

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曲が三パートに別れていて、そのダイナミックな構成もあって、大きな話題を呼びましたね。

曲のパートを箇条書きにすると、こんな感じになると思います。

  • 第一部。闇を怖れる自分。闇に飲み込まれて自身が消失するような感覚。スローなバラード調。
  • 第二部。恐怖から何とかして逃れようと葛藤する。ノリノリのロック調。
  • 第三部。最終的に、自己を他者に投げ出すことに救いを見出そうとする。スローで切ない曲調。

 

大雑把に言うと、こういう流れになっていると思うのですが、突き詰めると、これ以上のことは言っていないようにも見えます。

ですから、「結局、自分の不安を解消してくれるものは、最終的に他人なんだよ」というところで終わりにしても何の問題もないのですが、個人的には「闇」というワードが引っ掛かります。

深読みしすぎかもしれませんが、そこをどう捉えるかでMVの見え方が変わってくると思います。

 

このMVを見ると、「闇」を恐れ「光」を希求する、というストーリーが見えてきます。

MVの中で一生懸命、メンバーが「光」を集めていますね。

 

さて、話をがらっと変えます。

「光」と「闇」のような対立する概念で世界が成立しているという見方を二元論と言います。

こういう概念としては、「善」と「悪」、「天」と「地」、「戦争」と「平和」、「明」と「暗」、それから「月」と「すっぽん」(?)など、いろいろあります。

挙げだしたらキリがありません。

そりゃそうです。とにかく人間は世界を、対立する概念でくくるのが大好きな生き物ですから、もう世界中、対立する概念がうじゃうじゃしています。

では、なんで人間は二元論大好きっ子なんでしょうか。

おそらく、世界をそうやってくくった方が生きやすいからでしょう。裏を返せば、そういう風にくくらないと世界とどう向き合っていいのかわからない、ということにもなります。

 

二元論などの世界観でくくらない状態を「ヌミノーゼ」と言います。この言葉を知ったのはユング心理学の書物です。

もともとは、神学で使われている言葉で「聖なるもの」を表す言葉です。

しかし、ユング心理学の文脈では未分化の状態を表します。人間が「あれは善」、「あれは悪」とように色分けしていない状態を指します。

こういう、何のくくりもない世界は、人間にとって不安を呼び起こします。それが自分にとってどういう意味があるのかわからないからです。

なんだかわからない状態を忌み嫌う人間は、とにかく世界を定義したくてしょうがないわけです。

そういうときの便利な道具が二元論だったというわけです。

「言葉」も世界を定義するための道具という点では同じようなものだと思います。

 

人が闇を恐れるのは、そこに何があるのか(いるのか)わからないからです。

なんだかわからない世界を恐れる人間は、闇を打ち消すために光を出す装置を作り出しました。

そういう意味では、人間が作り出した文明は、恐怖から逃れようとしてできたもの、と言っても言い過ぎではないように思います。

もし、人間がそういう風にしか物事を認識できないのだとしたら、決してありのままの世界にたどり着くことができない、ということになります。

「じゃ、いっそのこと色眼鏡を外しちゃいなさい」と仰ったのが現象学のフッサール先生で、判断停止という概念です。それが何を意味するのか考えるのやめて、そのもの自体を見ようぜえ、と仰ったわけです。

そして、この考えを推し進めたのが、サルトル先生とかで有名な実存主義です。哲学に興味ない人でも、名前くらいは聞いたことがあるのではないかと思います。

ここで抑えておきたいポイントは、人間は何かと自分の都合のよいように物事を決めつけたがる、ということです。

すごーく身近な話に置き換えると、たとえば、自分のお友達を「あの人は陽キャだから」と決めつけるのと似たような話です。

当の本人は決めつける気はないものの、いつの間にか決めつけていることってありませんか?

「陽キャ」と決めつけた方が何かと自分にとって都合がよいからそうなったのかもしれません。しかし、実際にはその人はものすごく繊細な人で、そうやって明るくふるまうのも自分の柔らかい部分をさらけ出したくないからなのかもしれません。

そうして「陽キャ」=「何を言っても明るく対応してくれる」という勝手に作った図式で付き合っていくうちに、知らず知らずのうちにその人を深く傷付けているかもしれません。

 

このMVを初めて見たとき、出だしの「闇が怖くて眠れない僕」はきわめて個人的な話なのに、妙に世界の本質をついているなあ、と思いました。

 

第二部の狂騒的なパートも、そういう恐怖が源泉となって「ひっちゃかめっちゃか」になっているように見えます。

第二部では人間だけでなく、ピアノも踊り狂っていますね。ピアノは基本的にはエレガントな部分を担当することが多いのに、櫻坂46ではときどき「狂い出し」ます。

6枚目シングルの表題曲『Start over!』でも、本来であればエレガント担当のはずのピアノとストリングが狂い出します。こんな無茶苦茶なアレンジは滅多にお目(お耳)にかかれないと思います。かなり過激なことをやっていると思うのですが、その辺も海外受けする要因のように思います。

個人的に、こういう過激な路線、大好物です。

 

しかし、さんざん踊り狂ったところで出口が見つかるわけでもないし、だんだん疲れちゃいますね。

そして最終的には自分じゃどうにもならない、と思考停止し、他人の存在を希求するようになります。

これもまた妙に世界の本質をついているように思います。

 

さっきも書いたように、人間は二元論大好きっ子なわけです。しかし、本当のところは、二元論でなくてもいいのです。とにかく世界を「定義」できれば、道具はなんでもいいのです。

しかし、それは所詮、世界を生きやすくするための方便でしかなく、自分でそれが正しいなんてことは証明できません。

昔、岸田秀という心理学者の「唯幻論」(唯物論や唯心論をもじった言葉)という本を読んだことがありますが、結局、世界は自分が定義した幻でしかない、というような主旨だったと思います。

こうやって書いているとなんだか救いのない鬱っぽい話になってしまいますね。

では、こういう鬱っぽい話を決着させるにはどうすればいいか。

他人に頼ることです。

人が他人の存在を求めるのは寂しいから、ということになります。

では、その寂しさはどこから来るのでしょうか。

 

物事はそれ自体では規定することはできません。よく知られているパラドックスに「私は嘘つきである」というものがあります。

「私は嘘つきである」ということは、「私は嘘つき」であることも嘘になります。しかし、そうすると「私は嘘をつかない」ということになり、「私は嘘つきである」という話と矛盾します。

こうなると堂々巡りになり、何が正しいんだかわからなくなってしまいます。

結局のところ、このパラドックスが生まれる理由は「自分が自分自身を規定する」ことに無理があるからです。

難しく考えなくても直感的にわかる話ではないと思います。あるものをそれ自体で規定することがナンセンス、ということは難しい理屈を担ぎ出さなくても、なんとなくわかりますね。

つまり、自分で自分を規定するということが無理なのであれば、自分自身を規定するためには、かならず自分以外のものが必要になります。自己の正当性を自身で証明できないのであれば、それを自分以外の存在に示してもらう以外に方法はないわけです。

人が他人を希求する理由はそこにあるのではないか、という気がしています。

 

MVに話を戻します。

各メンバーが集めた電球は、無造作に積み上げられています。自分から見ると人間が作り出した文明のメタファーに見えます。

そして、最後に瞳月さん、砂を救うようなしぐさをします。そして、それは手から零れ落ちてしまいます。希望のはかなさを示しているように思います。

きわめて個人的な話を扱っているのに、こういう見方をすると別の切なさが襲ってきます。

実は大変ふかーいMVなのではないかと個人的には思っています。


BUCKS曲『僕は僕を好きになれない』

 

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言わずとしれた、櫻坂のダンスマシーン、村井優さんセンターのBUCKS曲です。

村井優さんが選抜入りしなかったのは、ちょっとびっくりしましたが、MVを見て考えが変わりました。

勝手な想像ですが、10枚目シングルの構想は、表題曲センターを山下瞳月さん、BUCKSセンターを村井優さんありきの企画で始まったんじゃないでしょうか。コンセプト上、対比関係にある両曲に櫻坂の3期生の)二大ダンスマシーンを振り分けたという気がします。

 

表題曲とBUCKS曲はワンセットになっているように思います。

どちらのMVも、主人公が眠っている状態から始まります。

表題曲は救いを希求する話だったのに対して、BUCKS曲は自分を見失い終わりのないループにとらわれてしまった話に見えます。

どちらも最終的な救済にはたどり着いていないわけですが、前者には希望が、後者には絶望がセットされます。

後で説明しますが、3期生楽曲『本質的なこと』は、この二曲のアンサーソング、自分を肯定し、繰り返すことを受け容れる話、つまり一応の解決をみた話になっているように思います。

 

さて、『僕は僕を好きになれない』です。

この曲のタイトルは、乃木坂46の『僕は僕を好きになる』を連想させます。

個人的にはつながりがあるようには見えませんし、仮にあったとしても、10枚目シングルの収録曲という文脈で語るうえであまり意味がないのではないかと思っています。

 

このМVのモチーフは「胡蝶の夢」みたいですね。

「胡蝶の夢」とは、眠っていたときに蝶になってひらひら飛んでいた夢を見たあと、目を覚ましたときに、夢から覚めて自分が蝶になっていた夢を見ていたのか、それともまだ自分は夢から覚めておらず、今の自分はその蝶が見ている夢なのか、どちらだかわからなくなったという話です。

自分たちは確かに現実の中にいるつもりだが、実は誰かの夢の中の存在に過ぎないのではないかという現実の不確かさを表す有名な話です。

興味がある人は、WikiPediaとかの解説を見てください。

 

誰しも、ふと現実感を喪失することがあると思います。「あれ、これって現実なんだっけ」と。

表題曲の説明で書いたとおり、私たち人間は世界を自分色に染めたがる生き物です。しかし、それは「なんだかよくわからない」状態から逃れようとして無理矢理そうしている、という風にも見ることができます。

つまり、私たちが見ている「現実」はそれ自体に何の正当性もなく、勝手に自分たちの都合のよいように塗りたくったものに過ぎず、たとえて言えば、薄氷の上に乗っているようなものだし、砂上の楼閣の上に腰かけているようなものなのでしょう。

胡蝶のエピソードの背景には、そういう気持ちの悪さ、居心地の悪さがあるのではないかと思います。

 

MVの冒頭で優ちゃん、蝶の体液を飲みます。そして胡蝶ワールドに入っていきます。

さんざん、撮影場所のホテルの中で暴れまくったあと、現実(?)に戻ってきますが、優ちゃん、眠ったままです。

もしかすると、優ちゃんは最初からずっと眠っていて、蝶の体液を飲むシーンも優ちゃんの夢の世界の話なのかもしれません。

だとすると、あのホテルの中のシーンは、体液を飲んで眠っている優ちゃんが見ている夢、という見方もできると思います。

まさに「夢の迷宮」とでもいうような世界ですね。

多層的な夢の世界の中で何が現実なのか、どこまでが夢なのかが迷子になってしまっています。

前述した「私は嘘つきである」の話と通ずる話、そういう見方もできるかもしれません。

 

このMVは、とにかく見ている人を気持ち悪くしてやれ、という悪意丸出しの映像です。

人の動きも化け物みたいで気持ち悪いですし、けばけばしい色合いも気持ち悪いですし、カメラワークもまるで船酔いしているみたいで気持ち悪いです。

そして、メンバーがぐるぐる同じところを回っています。おそらく自分という牢獄に囚われ、同じところをぐるぐる回っているんでしょう。

最後のシーンもメンバーが輪っか状に並び、出口のない閉じた円環を表しているように見えます。

 

自問自答するばかりで出口が見つからない。まるで煉獄の中に入って、苦しみ悶えている、そんな世界観を演出しているように見えます。

表題曲では他者という希望にすがろうとしましたが、この曲ではまったく希望はありません。


3期生楽曲『本質的なこと』

 

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5枚目シングルから始まった3期生楽曲シリーズ、これで6曲目を迎えました。

自分の仮説が正しいとすると、3期生全員にセンター曲が割り振られるはずです。そして、この動きは、乃木坂46の5期生、日向坂46の4期生でも起きています。

乃木坂46の5期生楽曲

櫻坂46の3期生楽曲

日向坂46の4期生楽曲

この動きが坂道グループで最初に始まったのは、乃木坂46の5期生です。

5期生11人のうち、すでに9人までセンター曲が割り当てられています。残り2人まできました。ここまで来たら全員行くよなあと思っていますが、どうなるんでしょうね。一応、一周したら期別楽曲はいったん終わると見ています。

もうすぐ乃木坂には6期生が入ってきます。おそらく6期生にも期別楽曲が毎シングルに割り当てられると思っているのですが、そうすると一時的に5期生楽曲と6期生楽曲がかぶることになり、秋元先生、大変なことになるかもしれません。

この動きの背景には、個人がもっとスポットライトを浴びるようにしたいという意図があるのではないかと考えています。

その辺は、別記事で取り上げています。

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センターは3期生の遠藤理子さん、通称、エンリコちゃんです。

前の二曲が悲壮的な感じがするのに対して、この曲はメローで暖かい感じがします。エンリコちゃんの柔らかい声といい具合いにマッチしていると思います。

 

3期生さん、メイドの役ですね。

指に包帯を巻いています。何でしょう、現実の穢れみたいなのを表しているんでしょうか。

本曲でセンターを務めるエンリコちゃんの役どころは、メイドさんたちのリーダーみたいですね。

彼女、帽子(?)みたいなの被ってるんですが、これなんていうんですかね。この帽子みたいなものが、彼女が負っている責任(あるいは自分が自分に課している重り)のようなのですが、途中で脱ぎ捨てます。

 

冒頭から鬱々とした日常シーンが続きます。

エンリコちゃん、おそらく自画像を描いていたのでしょうか、気に入らなくて顔の部分を塗りつぶしています。自身を否定的に見ていることがわかります。

そして、こんなの私じゃない、とばかりにエンリコちゃん豪華バージョンに移行します。

下のスクリーンショットは、豪華バージョンのエンリコちゃんがメイドバージョンのエンリコちゃんを突き飛ばしているところです。

ここでひとしきり豪華バージョンで踊ったあと、やっぱりこれも違うな、とエンリコちゃん、はたと我に返ります。

また、メイドモードに戻るのですが、頭の被り物を脱ぎ捨てたあと、あの窮屈そうなメイド服で踊り始めます。

今の自分を否定してもしょうがない、そう決意したように見えます。

ラストでまた冒頭と同じシーンになります。冒頭のシーンではエンリコちゃんは後ろ向きのままですが、ラストシーンではカメラの方を向きます。そのときの表情が少し笑みを浮かべていて、吹っ切れたような、少し挑戦的な、そんな表情を浮かべています。

このМVを初めて見たとき、もしかするとニーチェという哲学者が提唱した永劫回帰なのかな、と思いました。

以前、ニーチェが書いた本とか、ニーチェ哲学の解説本とかを読んだのですが、自分の頭ではよく理解できず、なんとなくの理解なのですが、永劫回帰とは、自身を肯定して繰り返しの中に身を投じる、ということなのかな、と思っています(間違っていたらごめんなさい)。

ここでは繰り返すということにネガティブなイメージはありません。

おそらく自分自身、現実を肯定するということが鍵になっているのだと思います。

 

「受け容れる」ということは、まず出発点に立つことなのだと思います。

先の説明の中で、人間は二元論大好きっ子で世界を色分けしたがるから、世界そのものの姿(人間色に染まっていない世界)には決して到達できない、ということを書きました。

しかし、だからといって「どうせ、自分たちは真実にたどり着けない」というネガティブな考え方を説いているわけではないんです。

そういう風な傾向があると自覚することが重要なのだと思います。そこを出発点にして、自分は思い込んでないか、と自問することに意味があるのだと思います。

もっともそれ以前に、ここで言う真実とは何なのか、という高尚な話もあるのですが、それは置いておきます。

 

当たっているかどうかは別として、こんな風に「すごーい、哲学してるー」という見方もできるわけです。つまり、それだけMVにいろいろと考えさせる要素が詰まっているということなんでしょう。

 

以上、妄想全開で、櫻坂46の10枚目シングルの収録曲のあれこれをお届けしました。


 

祝・副キャプテン就任~菅原咲月さん総括編~

さんざん乃木坂の副キャプテンは菅原咲月さん一択と言ってきた手前、彼女の副キャプテン就任に驚きこそありませんでしたが、いざ発表となると胸に迫るものがありました。なんでしょう、自分の娘の晴れ舞台を見ているのと似たような感覚です。

 

菅原咲月さんについては、過去何回か記事にしてきたのですが、そのときどきに思いついた内容を節操なく書き散らしていて、結局なにを言いたいのかよくわからない状態になってしまっているので、この機会に今まで書いてきた内容を総括したいと思います。

内容的には、彼女がめちゃめちゃ勘がいい人ということ、彼女が既定のアイドル路線の枠に収まらない人なのかもということ、それから、彼女と井上和さんには、かなり早い段階で、今後の乃木坂を引っ張っていくメンバーというレールが敷かれていたこと、この三つを中心に書いていこうと思います。

 

本ブログで取り上げた乃木坂メンバーのうち、一番、登場回数が多いのは菅原咲月さんです。つまり、それだけ彼女の人間性に惚れ込んでいるということです。

よく気が付くし、雰囲気が明るいし、ビジュアルもいいし、一緒になってふざけてくれそうだし、といいとこだらけですから。

同じ理由で櫻坂46の松田里奈さんも大好きです。


すごく勘のいい人

 

彼女のことを一言でまとめると、めちゃめちゃ勘のいい子です。

彼女の特徴として、てきぱきと物事をこなしたり、トーク番組でトークをうまく回したりとか、しっかり者エピソードには事欠かないと思います。

そういう彼女は、自分から見るとすごく勘がいい子だな、と思います。

 

自分の中で「勘がいい」というと、その場その場で自分が何をすべきかとっさに判断できてすぐに行動に移せることを指します。

たとえば、何か問題が起きたときに、自分で解決できること、自分で解決するべきではないことをとっさに棲み分け、しかるべき対応を即座に実行に移せる人です。

勘というと、仕事ができるとか、そっち方面の印象が強いかもしれませんが、仕事だけでなく人間関係にも大きく作用します。

たとえば、落ち込んでいるメンバーがいたときに、「いまはそってしておこう」と遠巻きに見たり、「ここはしばらく寄り添ってあげよう」と隣に座り肩を抱いてあげたりと、そのときどきの状況で、さっと自然に行動に移すことができる人、そういう印象があります。

 

「勘がいい」というのは、物事を深く考えなくても、「勘」を働かせて、その場その場の状況に応じた最適解を導き出すということです。

会社や政治の世界では「嗅覚の優れた人」という言われ方もします。

 

頭の回転が早いと言えば、まあそうなのですが、自分の見たところ、こういうタイプの人は必ずしも学業の成績がよいわけではないようです。多分に、生まれつきの素養なのではないかと思います。

知恵が働き、洞察力に優れ、戦略的に物事を動かすことができる、「本当に頭のいい人」とは別タイプです。

また、勘のいいタイプの人は、何でもできそうに見えて、抽象的な思考はあまり得意でない傾向があるようです。

 

彼女の勘のよさを示す題材として適切なのかどうか自信はないのですが、「乃木坂工事中」# 445「乃木坂46 期別忘年会③」で、その勘のよさが発揮されているように思います。

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一連の忘年会の流れを見ると、彼女の発言がきっかけに物事が流れているように見えます。もちろん番組の編集上そう見えるだけかもしれませんが。

最初の飲み物の支給から、乾杯の音頭、ヘッドホンガンガンリレー、そして最後のカラオケに至るまで、彼女の一言がきっかけに物事が動いているように見えます。

ネタ的に小さい話なので適切な例なのかわかりませんが、言いたいことは、狙ってやったわけではなく、自然にそうなっているように見えるということです。これって深く物事を考えてやっているわけではなく、自然に流れを作る「勘のいい人」ならではの典型的なパターンなんです。

 

勘がいい人は組織にとって非常に大きな戦力なんです。

彼女が加入初期から運営から推されていたように見えたのは、そういうことも理由だったんじゃないかなと想像します。

 

自分が彼女をどう見ているかは今まで書いてきたとおりなのですが、ここからは今まで彼女について書いてきたことのエッセンスをまとめたいと思います。

さんざんだらだらと書いてきたことを凝縮して「読みやすく」お届けしたいと思います。


初のPVで見せた彼女の素顔

 

自分が菅原咲月さんに注目するようになったのは、29枚目シングル『Actually…』に収録されていた5期生のPVを見てからです。

他のメンバーがいかにもアイドルらしいPVの作りだったのに対して、彼女のPVだけ異色です。

ビデオの最初から最後までひたすらしゃべり倒し、バラエティーでもないのにバンジージャンプに挑戦したりと、アイドルらしくないこと、おびただしい。

 

制作側もその気になれば、アイドル然としたテイストのビデオにすることもできたはずです。

たとえば、彼女の容姿に合ったクール系の美少女という触れ込みでビデオを作れば、そして彼女もある程度、地の性格を抑えれば、まったく違った、アイドル然としたPVになったはずです。

そうすれば、彼女のいまのポジションも違ったものになっていたかもしれません。

しかし、あえてそういう道を選ばなかったのは、そういうアイドル的な枠組みの中に彼女を押し込みたくなかったのではないかと勝手に想像しています。

そして、それは運営が一方的に彼女に押し付けた路線ではなく、彼女自身が選んだ路線かもしれません。

早い段階から先輩への憧れとして、梅澤キャプテンのキャプテンシーや久保史緒里さんのトーク力を挙げており、遠藤さくらさんや賀喜遥香さんへの憧れを語っていた井上和さんや川﨑桜さんとは、最初から路線が違っていたように見えます。

 

個人的に、彼女は乃木坂の仕事の幅を広げてくれるのでは、という期待を持っています。

たとえば、ラヴィットというバラエティー系の朝番組に一時期レギュラー出演していましたが、正直、爪痕を残せたかは微妙なところではないかと思います。

ただ、彼女の前向きな性格、臆せず誰にでも話しかけるコミュ力の高さ、何事にも全力投球な姿はスタッフ受けが良いのではないかと思います。

おそらく事前のスタッフの打ち合わせで積極的に提案したり、演者さんに絡み方について相談しにいったりしたのではないかと思います。実際に見たわけではないので、あくまでも自分の想像ですが、彼女の性格からして大いにありそうなことです。

 

仮に番組スタッフが「ちょっと、この番組は彼女にはきついかなあ」と思ったとしても、うちうちに別の番組のスタッフに「乃木坂にトーク力があって、リアクションのいい子がいるんだけど、そっちの番組で使ってみない」なんて具合に話が広がる、そんな可能性を彼女には感じます。


『バンドエイド...』ですでにレールは敷かれていた

 

30枚目シングルに収録された2番目の5期生楽曲『バンドエイド剥がすような別れ方』は彼女のセンター曲であり、その人気の高さはあえて説明の余地はないでしょう。

MVがYouTubeに公開されています。

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このMVの肝は以下のシーンです。

 

このシーンの前にメンバーが2人、3人セットになって映り、そして最後にこの三人が映ります。

このシーンの注目ポイントは二つ、このシーンだけメンバーが笑顔になっていること、それから井上和さんが不自然に首をねじって菅原さんと同じ方向を見ていることです。

菅原さんは5期生をまとめる子、そして井上和さんと二人でいずれ乃木坂を引っ張っていく両輪、そういうメッセージに見えます。詳しいことは下の方に掲載しているリンク先で説明しています。

自分が知る限り、乃木坂がこの二人を両輪と見ているという明確なメッセージを発したのは、これが最初です。

他の5期生楽曲にも同様のメッセージが仕込んであります。同じことを書くのが面倒くさいので、興味のある人は本ブログの別記事を探してみてください。

 

なんだかんだ言って、この二人が今のポジションに就いたのも、周囲の期待に応えてきたからでしょう。

 

彼女の副キャプテン就任は一様に歓迎ムードで迎えられましたが、その中でもとりわけ喜んでいるのは、想像するに井上和さんなのではないかと思っています。

勝手な思い込みかもしれませんが、彼女が菅原さんに向けている視線は、同期としての愛情を飛び越えて、もはや恋愛感情に近いように見えます。

井上和さんにとって菅原さんが名実ともに自分の相棒になったことは多分、そうとうに心強いできごとだったのではないかと思います。

 

以上、菅原咲月さんの記事の凝縮版をお届けしました。

 

参考までに、これまで書いてきた菅原咲月さん関連の記事のリンクを貼っておきます。

 

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5期生楽曲『相対性理論に異議を唱える』というか岡本姫奈さんのこと

今年もあともう少し、ブログは以前予告したとおり年末まで省エネ・お茶濁しモードです。

37枚目シングル収録の5期生楽曲『相対性理論に異議を唱える』の感想というか、岡本姫奈さんのことを簡単にメモしておきます。

2024/12/14追記。
書いてある内容があまりにも抽象的でわかりにくいため、具体例を少し書き足しました。

 

なお、今回、アイドルを少し変わった切り口で書くのですが、「フェロモン」という切り口を使います。アイドルに対してそういう切り口で語ることを不謹慎と感じられる方もいらっしゃるかもしれません。ですので、そういう話題が嫌いな人は、ここで退出されることをお勧めします。

 

37枚目シングル収録曲のMVが3本リリースされました。それをネタにいろいろと書こうと思ったのですが、全然ネタが出てこないので、岡本姫奈さんのことを中心に簡単に書こうと思います。

ちなみに、表題曲の『歩道橋』、アンダー楽曲『それまでの猶予』、5期生楽曲『相対性理論に異議あり』のそれぞれのMVを観ましたが、あまり感慨はありませんでした。といって曲の印象が悪かったわけではありません。どれも良曲だと思います。ただ、単独の記事にするほど自分の中にネタができなかった、それだけの話です。

なので、今回、センターを務めることになった岡本姫奈さんのことを中心にああだこうだ書きたいと思います。

 

世間的には岡本姫奈さんセンターおめでとう、というところなのでしょうが、前の記事にも書いたとおり、5期生全員に期別楽曲センターが割り当てられると見ているので、まあそんなものかなと割とあっさりと受け止めています。

ついでながら、前の記事に書きましたが、期生全員にセンター曲が割り当てられるんじゃないかあ、という動きは、乃木坂46の5期生だけでなく、櫻坂46の3期生、日向坂46の4期生にも同じことが起きています。

まだ、3グループともに、全員分には達していませんが、いちばん先にこの動きが始まった乃木坂46の5期生を見ると、11人のうち、すでに9人にセンター曲が割り当てられています。あと2人にだけセンター曲が割り当てられない、ということはさすがになさそうに思います。であるならば、櫻坂3期生、日向坂4期生も同じであろう、という見立てです。

一周した後に二周目があるのか分かりませんが、おそらく今後、入ってくる新しい期生にも同じことが起きるのではないかと思っています。自分がいうところの「宝塚システム」の一環ということですね。

もちろん、たまたまそうなっている、ということもあり得ます。たとえば乃木坂5期生に、ことのほか運営が入れ込んでいる、ということがこの動きの理由になっている可能性もあります。だから、5期生限りの動き、ということかもしれません。

いずれにしても、自分が提唱する「宝塚システム」が当たっているかどうかの答え合わせは、6期生加入からしばらく経ったくらいにできそうですね。

 

では本題に入ります。岡本姫奈さんのことをあれやこれや書きたいと思います。

加入してすぐにコンプライアンス違反があり活動を自粛し、さらに5期生がいよいよ本格的にグループ活動に参画する段になって約1年半休業したために、ほかのメンバーに比べて出遅れ感があった彼女ですが、36枚目シングルのミーグリで全完売を果たし、ようやく潮目が変わってきた感があります。

そして、今回のセンター、曲のフリもバレエの素養を存分に活かせるようになっていて、単純に「よかったなあ」と思います。

今までミーグリで後れを取っていた感のある奥田いろはさんも全完売を叩き出し、期生全員が全完売するという快挙をなし遂げました。

 

ちなみに、ミーグリで期生全員が全完売する、ということは過去にもう一回あります。18枚シングル『逃げ水』のときに3期生が全員、全完売を叩き出しています。

ただし、3期生と5期生ではまったく事情が違います。

 

自分が持っている記録によると、3期生全員が全完売を叩き出したときは、3期生は加入して間もない時期であり、各自の受け持ちがフルセットの30部ではなく、12部~24部の間であり、全体的に部数が少なかったため、完売が付きやすい状況にありました。

それに加えて、加入して間もなく、まだメンバー間の売れ行きに格差が顕著に出ていなかったこと、3期生二人がダブルセンターに抜擢されて3期生人気に火が点いたこと、当時は握手会だったため、ミーグリよりも完売が付きやすかったこと、などの要因が重なった結果ではないかと考えています。

 

しかし、5期生の場合は、すでに加入3年目です。全員が30部を受け持ち、しかも、加入からそれなりに時間が経っているわけで、通常であれば、売り上げに差が出てしまう時期です。にもかかわらず、全員が全完売を果たしたわけですから、これは快挙という以外に言いようがないと思います。

ちなみに、5期生に有利に働いた要因もあるしれません。メンバーの数が32人と少なく、3期生、4期生の人気メンバーが軒並みミーグリ免除になっているため、免除になった分が5期生に流れた可能性はあります。

ただ、仮にそうだったしても、吸収できるということはそれだけ魅力があるということなので、やはり5期生はすごい、ということなのではないかと思います。

 

話が脱線したので、彼女の話に戻りたいと思います。

 

彼女が休業から復帰する際のブログを見て感じた人も多いと思いますが、どうやら彼女、アイドルをやめようと思い詰めていたように見えます。

当時のブログの一部を引用します。

 

みんながライブで頑張っている姿を見てじっとしては居られませんでした。
「岡本くん早く戻ってきてくれ」って
目に涙を溜めながら顔を下に向けて
袖口を掴んできたあるのに
心臓がきゅーってなって、
早く戻らなきゃなって思ってました。乃木坂46は本当に暖かい場所です
もう一度、アイドルしたいなってライブしたいな
頑張りたいなって思ってます。
これからもよろしくお願いいたします。

 

※ハイライト部分は筆者

 

休業に入るときのブログには「体が言うことをきかない」旨の記述がありましたが、フィジカルな問題というよりもメンタルの問題だったということらしいです。

あまり憶測であれこれ書くのも憚れるので簡単に書くと、おそらく自分だけ(いろいろな面で)取り残されていた感じがしていた、というところではないでしょうか。

 

加入当初から自分は、彼女に対して、今までの乃木坂にないタイプという印象を抱いています。

前に中西アルノさん、池田瑛紗さんについても同様のことを過去の記事で書いています。両者ともにアイドルというよりは、どちらかという表現者タイプの子に見えます。加入当初は「ああ、乃木坂は少し幅を広げようとしているのかな」と漠然と思っていました。

 

岡本姫奈さんはバレエで相当の実績を積んでいて、素養的にはそっち系にも見えるのですが、どちらかというと彼女を見て一番印象に残ったのは、そのフェロモン値の異常な高さです。

平たく言うと「色気むんむんのアイドル」ということです。

世間的な相場は、アイドルにそういう要素はあってもいいが、たっぷりは要らない、ということかもしれませんが、「アイドルはこうあらねばならぬ」という信念が自分にはないので、個人的には好意的に見ています。

 

この辺の話、非常に扱いが難しく、自分の能力では書けば書くほど、自分の意図した方向とまったく違う方向に向かい、あらぬ誤解を招きそうなので、手短に書きます。

自分の中でそれまでフェロモン値が一番高かったのは、1期生の衛藤美彩さんです。しかし、どちらが高いとか低いとか言う以前に、衛藤さんと岡本さんではタイプが全然違うように見えます。

衛藤さんが「大人の女性」として魅力だとしたら、岡本さんのは「生々しい(?)女性」としての魅力です。自分の筆力では手にあまり、なんと表現すればよいのか難しいのですが、伝わりますかね。

自分がもし若返ることができたら、衛藤さんには憧れを抱いたり、いろいろと相談したりするでしょうが、岡本さんに対しては、どうやってデートに誘うかということばかり考えると思います。

これ以上、筆を重ねると変な路線に行きそうなので、「のぎのの」というラジオ番組で岡本姫奈さんの歌について中西アルノさんと池田瑛紗さんが語ったときの言葉を引用させてもらいます。池田さん、さすがの洞察力、言いえて妙と感心した一節です。

 

(アルノさん)
姫奈は歌声がかわいい。姫奈はすごい(自分の歌声を)やだやだって言うけど、なんかもてるタイプのさ。。。
(テレパン)
スター誕生のライブでも、みんな結構アイドルとして何万の方に向けて歌っている感があるんだけど、姫奈だけ二人っきりの個室で僕を落としにきてるって感じの歌い方をするから。。。

 

100%同意です。

キャラクターにしろ、歌声にしろ、男性にほうっておけないと思わせる魅力を無自覚に大量放出している感じがします。

 

以上、岡本姫奈さんについてあれやこれや書きました。

 

前の記事に書きましたが、いまYouTubeの再生回数やオリコンチャートなどを日々データとして記録しています。データがたまってきたので、来年の頭にでも何か書きたいと思っています。

 

八十一番と、町田のラーメン事情

町田で一押しのラーメン屋さん、第二弾ということで前回の予告どおり「八十一番」さんのレポを書きます。

同じく町田にある「パパパパパイン」という、スープにパインが入るという変わり種、しかも店名がめちゃくちゃ色物っぽいラーメン屋さんの派生店です。

 

 

しかし、「八十一番」さんには色物の要素がまったくありません。

うまみ塩そばを細麺(細麺と中太麺から選択できる)でいただきました。940円なりです。

 

 

写真を見てわかるように、上品な感じのラーメンです。

 

スープはもう貝、貝、貝という感じ。貝がめちゃめちゃ目立つセッティングになっています。ですからぱっと見(ばっと飲み)は、貝と塩だけで組み立てた、という感じがすごくするスープです。

とはいえ、動物系、魚介系もうっすらと存在しています。かなり控えめな存在で、スープの底面をさりげなく支えている感じです。

表面に浮いている油が多く、なんでも貝のエキスが入った油らしいです。そのせいか、香りも味も貝尽くしという感じです。油っぽいのが苦手な人は、やや胃もたれすると思います。

 

麺は細麺を選びました。麺肌が滑らかで、食感も歯切れがよく、上品な麺です。スープとの相性もばっちりだと思います。

 

具はチャーシュー、えのき(揚げ?)、芽ネギ。

チャーシューは薄味、ほろっとした鶏チャーシューと、焼豚風の豚チャーシューが二種類入っています。

えのきは揚げているのかな、独特の粘りのある食感がして面白いです。

 

冷めた目で見ると、いかにも名店風の設定が目立つ店でもあります。前に食べたときの感動が薄れてきた今となっては正直、「いぶし銀」さん(後述)の方が美味しい気もしてくるのですが、こうやって推しの店として食べちゃった以上、まあいい、ということにしておきます。

そのうち、「いぶし銀」さんにもおじゃまし、レポを書きたいと思います。

 

せっかくですので、ラーメン激戦区と言われる町田の「黄金期」について書きたいと思います。


町田ラーメン黄金時代について

 

町田に一時期、個性的なお店が群雄割拠している期間があり、バリエーションが多くて、どこに行くのか選ぶのが楽しかった時代があります。

「胡心房」、「ROCK'N ROLL ONE」、「圓」とか本当に名店と言っていいお店が軒を並べ、まさに群雄割拠している、という時代でした。今から10年くらい前だったと思います。

どれも個性的なお店で、何度でも通いたいと思わせるお店だったのですが、どんどんお店が閉店してしまい、いまや、そういう個性店の唯一の生き残りが「いぶし銀」さんです。

この機会に、そんな黄金時代を飾ったお店をご紹介しようと思います。


胡心房

 

もともとはテレビの企画番組「貧乏なんちゃら」みたいなタイトルの番組の企画で生まれたラーメン屋さんです。

東京の稲城市で営業していたお店だったのですが、そのお店の娘さんが独立し、町田に店を構えたと記憶しています。

健康志向のお店で、動物系特有の脂分を極限まで取り除き、コラーゲンたっぷりの美容にもいいラーメンでーす、という謳い文句だったと思います。

女性向けのラーメンということで、店員さんも全員女性です。

2006年7月11日に訪問したときの写真を貼っておきます。「らぁめん」(650円なり)です。

 

 

店主さんが何年か前にこのお店を手放した後、営業していなかったのですが、どこかの資本系の会社が2020年にお店を引き取り2022年まで営業していましたが、それも閉店し、いまでは別のラーメン屋さんになっています。


ROCK'N ROLL ONE

 

相模原にあった「キリン食堂」という名前のラーメン屋さんから独立して作ったお店です。もとは町田駅の繁華街方向とは逆の出口(相模原市)を出て、少し歩く場所にあった店ですが、
町田市側のラブコールが実り、町田駅近く(町田駅の駅ターミナル)に引っ越ししたお店です。

相模原時代は行列が長かったのに、町田に移ってきたとたん行列がなくなるという変な現象が起きましたが、なんでしょうね、レア感がなくなったからでしょうか。アクセスは圧倒的によくなったはずなのに行列がなくなるという謎な現象でした。

店長さんのロックンロールな湯切りが素敵で、店内の内装、出しているラーメンを含め、なかなか個性的なお店でした。

相模原時代に訪問したときに食べた「2号ラァメン」というメニューがすごくて、鶏、醤油(町田にある岡直三郎商店が出している醤油)、鶏油だけでまとめましたみたいな、男気溢れるラーメンでした。

 

 

しばらくして東京の赤坂方面に移転し、その後、関西に移転しました。赤坂移転の数日前にもお伺い、お店の人にことわってラーメンの写真も撮り、記録もとっていたはずなのですが、どこにいっちゃったんですかね、見つかりませんでした。


火の国

 

熊本ラーメン系のお店です。

相模原にあった伝説のお店「大石家」で修業した方が出したお店です。

「大石家」という名前からは家系のお店を連想すると思いますが、れっきとした熊本ラーメンのお店です。店長さんが名物店長で、マシンガントークで有名な方です。自分もマシンガントークの餌食になり、一時間以上、店長のおしゃべりに付き合いましたが、話があまりにも面白すぎてずっと腹を抱えながら笑っていました。

「大石家」さんのラーメンは、熊本ラーメンにチーズ入り、トマト入り、とすごい変化球なのですが、めちゃめちゃ合っています。そういう具を入れた経緯、どこのチーズが一番とかいろいろとウンチクを聞いたのですが、もうほとんど覚えていません。惜しまれながら閉店後、何年か前に店主さんはお亡くなりになっています。

何にしても、具が全部入りの状態で600円(2009年6月19日当時)と、当時としても破格のお値段です。ご本人も儲けを度外視している、とのことでした。

 



 

さて、本題の「火の国」さんです。さすがに「大石家」出身とあって、お店の中にいろいろな飾り物があって個性的な店内です。

確か、麺にワカメを練りこんだ、とかそういう変化球入りのラーメンを出していたと思います。ただ、ラーメン自体は、ひねった要素はほとんどなく、どちらかというとオーソドックスで優しい感じのラーメンでした。2005年3月26日時点の写真(メニューは「ラーメン」、650円なり)を貼っておきます。

 

 

お店の名前を「はじまるBy」と変え、最近は居酒屋になっていたと思います。いまでもラーメンを出しているかどうかは未確認です。


 

記録に残っていないのですが、記憶にしっかりと刻まれているお店です。煮干しが強く出たラーメンを出すお店で、いたずらに煮干しが強く主張するだけでなく、全体的なバランスが非常に高いラーメンでした。冗談でなく、毎日通いたいと思ったお店です。

町田にお店を出している期間は短く、ほどなくして八王子に移転していました。何年か前に移転後のお店に行ったのですが、店員さんが変わっていて、もはや町田時代のキレはありませんでした。


いぶし銀

 

町田で長く経営しているお店では、自分が知っているだけでお店の名前が三回変わっています。今は「いぶし銀」という名前です。

メニューもなかなか変わっていて、「GTターボ」とか「ジャパン」みたいな名前のメニューを出しています。

お店の雰囲気も、ラーメンも少しクセがあるのですが、はまると常習化しそうなヤバさを持っているお店です。

町田の個性派ラーメンの中で唯一、現在も営業しているお店です。

こちらのお店は確か記録があったはずなのですが、見当たらないので食べた感じとか、ラーメンの写真とかはありません。

まあ、来年、気が向いたらお店にうかがうかもしれません。

 

以上、三回にわたり、町田のラーメン事情シリーズをお届けしました。


 

ど・みそ町田店と、町田の味噌ラーメン事情

前回の記事で、東京都町田市の二郎系の事情を書きましたが、そもそも自分が推しているラーメンが何なのか書いたことがないので、今回と次回の二回にわけて、二店ほど書いてみたいと思います。

自分がお勧めしているラーメン店は、「ど・みそ」さんと「八十一番」さんです。以前は「Noodles」さんも推していたのですが、閉店してしまったので、いまは二店です。

 

今回は「ど・みそ」さんです。11月24日に食べに行きました。久しぶりです。

食べたメニューは「みそラーメン こってり(背脂)」です。950円なり。無料トッピングのもやし増し(増し増し)を頼みました。

どっしりとした厚いスープです。味は辛めで、重くて説得力のあるスープです。

このスープ、札幌ラーメンのスープとはまったく違うタイプで、なに風と譬えることが難しいのですが、一回は食べてみる価値はあると思います。

合わせ味噌なのだと思うのですが、味噌がことのほか厚く、ベースの動物系が何なのかよくわかりません。この手の味噌ラーメンは豚骨ベースが多いと思いますが、自分のバカ舌では豚?、鶏?、うーん、よくわからんですね、正直なところ。

 

麺は、密度感があり、固めの食感の中太縮れ麺です。食感の活きがよくて太いスープとよく絡みます。

スープが太く辛めなので、しゃきしゃきとした、もやしとの相性もばっちりです。

 

「ど・みそ」さんは町田の繁華街に出る折によく食べるラーメン屋さんです。

 

ずいぶん前になりますが、町田にお店を出した当初は、「朝ラーメン」なるメニューを出していたと記憶します。確かワンコイン(500円)。食べた記憶があるのですが、記録が残っていないので確かなことが書けません。確か醤油ベースのラーメンだったような、そうでなかったような...

 

まあ、せっかくですので、20年くらい前からの町田の味噌ラーメン事情を書きたいと思います。記憶があいまいな部分があり、なるべく自身が残した記録をベースに書きますが、何分にも古い話なので記憶違い、それから記録違いもあるかもしれません。その辺はご容赦ください。

町田の味噌ラーメン事情

 

その昔、かなり前ですが、町田の成瀬というところに「大文字」という味噌ラーメン専門のお店がありました。

だいたい20年前くらいのラーメン本を買うと、たいてい町田のラーメン屋さんとして「大文字」と「雷文」がよく掲載されていました。

「大文字」さん、確かどんぶりやお皿が特注の陶器だったはずで、その当時は珍しい高級志向の味噌ラーメンでした。2000年に食べた記録が残っているのですが、普通の味噌ラーメンの値段が840円。今では普通の価格ですが、当時はだいたい600円前後が相場だったので、いいお値段でした。

「味ソらーめん」というメニューの写真(2003年4月10日当時)を貼っておきます。


お店はだいぶ前に閉店しています。

成瀬のお店が本店で、支店も何店かありましたが、確かいずれも閉店していたと記憶しています。

また、「大文字」出身の「ねぎぼうず」というお店が、町田の外れにあったのですが、こちらも閉店しています。

 

その他の味噌ラーメン専門のお店としては、「ラーメンおやじ」と「3SO」の二店ですかね。

 

「ラーメンおやじ」は北海道系のお店なので、味噌ラーメンの専門店というわけではありません。しかし、味噌ラーメンで評判のお店ですので、味噌ラーメン専門のお店として紹介します。

こちらのお店は、オーソドックスな味噌ラーメンです。

2005年 9月18日当時に食べた味噌ラーメン(おやじ麺)の写真を貼っておきます。ずいぶん前の写真ですが、いまでもときどき食べにうかがいます。何の変哲もない味噌ラーメンと言えばそうなのですが、なんか安心するというか、ほっこりとする味のお店です。


本店は相模原にあります。

一時期、町田店は、お店の近くに「くまおやじ」という姉妹店を出し、少し冒険した、おしゃれ系のラーメンを出していた時期がありましたが、ほどなく閉店しています。

 

「3SO」は駅からかなり離れたところにあり、バスか自動車でないと行きづらいお店です。洋風のテイストを採り入れた変わり種で、なかなかお洒落な味噌ラーメンです。

最近だと一年か二年前くらいに食べにいったのですが、店員さんが変わったようで味も変わりました。変わる以前は、面白いお店としてお勧めしていましたが、いまはちょっとお勧めできない感じです。

 

以上、ど・みそ町田店と、町田の味噌ラーメン事情をお届けしました。


 

久々の豚山と町田市の二郎系事情

久々に豚山さんを訪問。

 

 

最近はあちこちで支店を見かけるようになりました。

この前、環状二号線沿いのラーメン屋さんを訪問したときにも、豚山さんの支店を見かけました。

 

2024年11月19日午後15時くらいに豚山町田店を訪問。

お疲れ気味の自分にエネルギーをチャージするために超久しぶりに訪問しました。多分、前回の訪問から一年以上経っています。値上げして、ラーメン小が900円になった時点で疎遠になっていました。

ラーメン小(950円)を注文。小の麺量って前から250gでしたっけ。前は300gだった気がしますが、うーんわからん。なにせ年一回くらいのペースで通っているものですから、記憶が曖昧です。

トッピングはニンニクと野菜。

スープを飲むと、何か本家の二郎っぽさ、それも非乳化系のお店に近い感じがします。非乳化系特有の、鈍い醤油の立ち上がり方です。これに、みりんが入れば、かなり非乳化系の本家二郎に近い感じになると思います。

前は、もっとぼやっとしたスープだったような印象です。

 

麺はむっちりした食感の平打ちの太麺。

この系統のお店にありがちな、小麦を固めたような粉っぽいとか、異様に硬いとか、そういう要素がなく、食べやすい麺です。

 

トッピングした野菜は、ほぼもやし。キャベツ比率が落ちたなあ。多分、材料の高騰が関係しているのではないかなと。

豚のサイズが小さくなったように思います。それと、二郎インスパイア系の中でも上品な味付けになっている印象がしました。

 

全体的に、特別おいしいというわけではありませんが、まあ、普通に食べれる平均的な二郎インスパイア系のお店です。

本家二郎のマニアックさを排除すると、こんな感じになるかなあ、という印象です。この印象は、豚山さんが出店してからずっと一貫しています。


町田の二郎系事情を振り返る

 

ついでですので、町田の二郎系の動きを振り返ります。

過去に自分がメモってきた情報と、記憶に頼って書きますが、メモも記憶も曖昧なところがあるので、もしかして間違っているかもしれませんが、大枠は外していないと(多分)思います。

 

町田に引っ越してきて20年近くになります。

町田に「ラーメン二郎」の名を冠したお店はなく、本家二郎に行きたいのであれば、お隣の相模大野に移動する必要があります。

それでも、もともとラーメン二郎町田店という名の店はかつてありました。自分たちが町田に越してくる少し前まで存在しました。

しかし、このお店、本家の二郎で修業した経緯がないお店です。20年前くらいだったと思いますが、本家で修業していないお店は「二郎」の看板を使ってはならないとの本家二郎からのお達しが出たため、軒並みこの系統のお店は、看板の「二郎」という文字を消しています。

ラーメン二郎町田店は、静岡県に移転し、たしか「大山」という名前の店になりました。そして、町田店自体は、店の名前を「蓮爾」と変え、お弟子さんが店を継ぎ、二郎チックなラーメンを出していましたが、その後、店名を「禅」と変え、ほどなくして店をたたんでいます。

その後、二郎、二郎インスパイア系のお店は町田になかったため、しばらくその系統のラーメンの空白時代が続きました。

 

厳密に言うと、成瀬にあるJunpeyという家系のお店も二郎系のラーメンを出しています。もしかすると、それ系のお店は他にもあるのかもしれません。そこまで手を伸ばすには知識が足りないので、今回のお話は町田駅周辺に限定します。

 

そんなふうに二郎系ラーメンの空白時代が続くなか、家系のぎょうてん屋が二郎インスパイアの「ぎ郎」を出すようになりました。

確か目黒にあるぎょうてん屋が「ぎ郎」を初めて出し、その評判が良かったので、他の支店でも出すようになったと記憶しています。

自分が持っているメモによると、2007年3月9日に実食した記録が残っています。当時のラーメンのお値段は700円でした。そのとき食べたラーメンの写真を貼っておきます。

特にクオリティが高いわけではないですが、とりあえず二郎っぽさがあればなんでもいい、ということであれば、そこそこ満足できる、そんな印象でした。

その後、ぎ郎は食べてないので、今、どうなっているのかはわかりません。

 

これと前後して、新しくできた大勝軒(東池袋系の大勝軒)が「とんこつ野菜」なる二郎インスパイア系のラーメンを出すようになりました。なんとお値段、600円。

大勝軒が立地的に駅から遠く、地の利でいうと、圧倒的にぎょうてん屋よりも悪いため、低価格で集客を目論んだのではないでしょうか。

2008年9月2日に実食した記録が残っています。これも写真があるので貼っておきます。

 

そのときの感想は、メモによると、二郎らしさがなかったとのことで、おそらく大勝軒という大手ブランドなのでプライドがあり、意図的に二郎に寄せたくなかったのではないかと推測しています。「とんこつ野菜」というネーミングを取っても、「別に身売りしたわけじゃないんだぜ」という気概を感じますね。

やはり大勝軒は魚介系のラーメンに強みがあると思います。あえて二郎に寄せなかったと心意気は感じますが、邪道という感じもします。

個人的には、とりあえずお値段ベースで考えるんだったら、まあ選択肢としてあるかもね、というくらいの位置付けでした。

 

多分、この辺りを境にして、町田にも二郎インスパイア系が進出するようになりました。

駅から少し離れたところに、「ジャンキーモンキージュニア」なる名前の二郎インスパイア系のお店が出たり、あと、駅の栄えている場所に「野菜ラーメン」も進出していたこともあります。この手のなんちゃって二郎の中でも、あまり質のよろしくないお店は比較的、短命だったと記憶しております。

そんな自然淘汰のような経緯をたどり、町田の二郎系も絞られていきました。自分の記憶によると、次の四店です。

  • ぎょうてん屋
  • 大勝軒
  • 豚山
  • 三郎

 

ぎょうてん屋は、地の利が良い反面、いつも混んでいるので敬遠していました。なので、値段で選ぶなら大勝軒、あまり歩きたくないときは地の利のいい豚山、少し歩くがトッピングのバリエーションを楽しむなら三郎、みたいな感じで分けていました。

その後、大勝軒は閉店、三郎は路線がだんだん自分の好みとは外れてしまい、店の名前が変わるあたりから通わなくなりました。

自分の知る限り、町田駅周辺で二郎系のラーメンを現在、出しているお店は、ぎょうてん屋と豚山の二店です。

訂正があります。2024年11月24日時点で、もう一店、二郎系のお店を発見しました。「らーめんつづき」というお店です。お店の写真を貼っておきます。今のところ、自分が知る限り三店ということになります。

正直、町田でラーメンを食べるのだったら、もっと美味しいラーメン屋さんはあります。

それでも、とりあえず二郎っぽい感じを味わいたいのだったら、それもあまりレベルが高くなくても許容できるのであれば、その二店で間に合う気がします。

ある程度のレベルでないと満足できない人には、お隣のラーメン二郎相模大野店をお勧めします。これも写真(2009年9月29日時点)があるので貼っておきます。



 

早いけど今年を振り返る~データ活用でわかること

今日は11月23日なので、今年を振り返るのは少し早いのですが、今後、乃木坂関連の記事は方向転換するかもしれないので、所信表明も込みで振り返りたいと思います。

 

今回は、いまYouTubeやオリコンから集めているデータを吟味すると、もしかして自分の書いてきたことは根底から間違っていたのかもしれない、という話です。

それだけだと中身がなく、内容が寂しいので、いまデータを見て言えることについても少し触れます。中身のある話だけ読みたい人は、最後の方に飛ばしちゃってください。

 

自分が今年になって主張してきた内容をまとめると、次のような感じになると思います。

  • 乃木坂の人気は横這い(主にオリコンのチャートがその論拠)
  • 5期生から路線変更して、素人っぽさを排除し、パフォーマンス力のある人を採用した。
  • 6期生以降もおそらく5期生の路線を引き継ぐ。

 

それぞれの点については、突っ込みどころがいろいろとあります。

たとえば、2点目の5期生で路線変更した、というのは言い過ぎな感があります。確かにパフォーマンスが段違いに高い人もいるのですが、そうでもない人もいます。言い過ぎ感がありますね。

 

自分がしてきた主張の出発点は「人気が横這い」という点です。

だから乃木坂は変わらねばならない、という考えに発展しています。

ただ、ぶっちゃけると、そう書きながらも「この出発点、なんかぐらぐらしてね?」と足下がふらついている感じはありました。

ひろゆきさん風に言えば「それってあなたの感想ですよね」というところでしょう。まあ、感想というのとは少し違う感じがしますが、論拠としているデータがいくらなんでも少なすぎです。

出発点がそもそも間違っていたとしたら、大前提が崩れてしまうわけですから、根も葉もないことを力説していたことになります。

どのみちデータをどう見るかは属人的な話になり、どうしても見る人の好みが入ってしまうので客観的な論拠になるかはあやしいのですが、普通に考えて、ネタとなるデータは多ければ多いほどよい、ということは言えると思います。

 

幸い、今月に入って、YouTubeの再生回数や、オリコン、ビルボードのチャートの情報を定期的に収集するようにしました。

その辺の事情については、ここ最近の記事に詳しく書いています。

主に夜中にデータを自動収集しています。そして、収集結果も下のリンク先で公開していますので、よかったらのぞいてやってください。

 

http://kawaya3.starfree.jp/nogizaka/index.php

 

データを集めている対象は、乃木坂46だけでなく、櫻坂46、日向坂46も入っています。いわゆる坂道グループというやつですね。ですから、坂道グループのシングル売り上げ、YouTube再生回数がどのように推移しているのかを追うことができます。

現状、しっかりと道筋を立てているわけではないので、今後、このデータをどう活かすのかについてはノープランです。

ただ、データを集めない限りは何も始まらないので、とりあえずデータを取っている、というのが現状です。

直感的には、対象を坂道グループだけでなく、チャート上位によく登場する人気歌手、人気グループにまで広げた方がよいような気はしています。そういうデータを並べてみて相対的に人気がどうなのかはっきりと見えるように思いますので。

 

所信表明みたいな話はこのくらいにして、冒頭で宣言した中身のある話をちょっとだけします。

 

まだデータを取り始めたばかりで、現状、データをぼんやり眺めているだけですから大したことは言えないのですが、少なくとも35枚目シングルの表題曲『チャンスは平等』は明らかな失敗作だった、ということは確実に言えそうです。

オリコンやビルボードの売り上げだけを見ると大きく落ち込んでいるわけではないのですが、YouTubeの1日あたりの再生回数で見ると、ここ最近の表題曲の中でもダントツに少ないという傾向が見て取れます。また、同じく35枚目シングルのアンダー楽曲『車道側』と比べても少ない、ということがわかります。

『チャンスが平等』の1日あたり再生回数が3,000前後、対して『車道側』は5,000前後です。

 

人気曲かどうかの線引きは、おおよその目安として、1日あたりの再生回数が6,000回でラインが引けそうです。

去年以降リリースされた表題曲を見ると、このラインを『チャンスは平等』以外の曲はみな超えています。中には1万回を超える曲もあるので、『チャンスは平等』の低さがどうしても目立ってしまいます。

 

『車道側』については、3期生全員が選抜に入り、その煽りを食らって人気メンバーが選抜からアンダーに移ったことに不満を感じたファンが、再生回数を表題曲より増やそうとやっきになって再生したという、いわくつきの曲です。

ですから、うっぷん晴らしのために一時的に再生回数が多かったのかと思いきや、意外にその後も再生回数が多いということが見て取れます。つまり、『チャンスが平等』がどうのこうのとは関係なく、『車道側』は実際にファンに刺さった曲という見方ができます。

しかも、『車道側』は乃木坂歴代のアンダー楽曲の中で再生回数がトップです。11月23日午前0時時点の再生回数で見ると、『車道側』が約412万回、2位の『13日の金曜日』(5枚目シングルのアンダー楽曲)の約351万回を引き離しています。

『13日の金曜日』のYouTube公開日が2015年12月4日であることを見ても、これは快挙と言えると思います。

個人的には『車道側』の人気を一時的なものと見ていたのですが、こうして実際にデータで見ると、そうでもないことがわかります。

 

先ほど書いたように、乃木坂の人気を測るためにデータを具体的にどう活かしていくかはノープランです。まあ、来年あたりからちょくちょく進めていくつもりです。

今回もあまり時間がないのでコンパクトな記事になりました。本当は書き足りないので、来年になったら反動でものすごく長い記事を書くかもしれませんwww。