かわや(旧よろずや)のブログ

好きな乃木坂、映画、漫画などについて語ります。

『承認欲求』MVの考察もどき

初の櫻坂46ネタです。

もともとは、乃木坂46をネタにあれやこれや書いてきたんですが、まあ、今回は櫻坂に浮気してみようという出来心で書いてみました。

 

櫻坂って個人のキャラが立っていていいですね。

今までネタにしていた乃木坂も、メンバーがなかなか個性派揃いで、特に5期生なんて面白くてエキセントリックな子が多いのに、売り出し方が普通すぎて、いまいちキャラが生きていない感じがします。

 

さて、ネタは、10月18日にリリースされた『承認欲求』のMVです。

リリースから一か月経っちゃっているし、旬なネタではないんですが、こうして書いてしまったのだからリリースします。

 

www.youtube.com

 

一言で言うと「カッケエエ」曲です。聞いた瞬間からこれいいなと思いました。

このMVについては、もうすでに語りつくされている感もありますが、独自の視点(?)で考察もどきをしてみたいと思います。

主に、MVで展開されるドラマを見ていきたいと思います。

 

歌詞の方はSNSどっぷりで、溢れる情報量、自分を盛って自分を認めてもらいたいという衝動の中で、自我を喪失しているってな感じですかね。

この辺の見方は、だいたい共通している見方ではないかと思います。

 

このMV、実は消化不足で、よくわかっていないところが多いんですよ。

もともと作り手も、自分でもよくわからないイメージを映像にしていることも多いでしょうから、そもそも合理的な解釈自体が無理、という言い方もできますね。

とはいえ、そう言ってしまうと身も蓋もないし、ある程度、意味というか隠喩を意識したうえで映像にしているでしょうから、それが拾えたらいいな、という具合いで見ていきたいと思います。

 

で、いまの時点でドラマをどう見ているのかいうと、他人の視線を気にするばかりに自分が自分でなくなってしまう感覚から、本来の自分を取り戻すというのが表のテーマで、裏のテーマとして、二元論から昇華して新しく生まれ変わるというのが隠れているのではないかと思っています。

なんか裏のテーマがやたらと大仰なんですが、なんでそう思ったかは後の方で説明します。

 

細かい説明に移る前に、MVの全体を俯瞰してみましょう。

MVは、センターの森田ひかるさんを中心に、次のような構成で展開していると捉えています。

 

  • ステージ1(冒頭からサビ1まで)
    場所は教会、森田さんの姿はモード1。他人の視線に踊らされ、自我を喪失する。
  • ステージ2(2番)
    場所は廊下、森田さんの姿はモード2。葛藤し、穢れを背負う。
  • ステージ3(サビ2)
    場所は教会、森田さんの姿はモード1。浄化され、いったん死ぬ。
  • ステージ4
    場所は布の中、森田さんの姿はモード0。胎児になる。

 

森田ひかるさんのモードは次の3つです。

 

モード1

通常バージョン。

 

モード2

穢れを背負っているバージョン(?)。いろいろとジャラジャラしたものが身体に付いています。

 

モード0

順番からするとモード3になりますが、おそらく全部脱ぎ捨てたところ、つまり裸を模しているような気がするのでゼロにしました。膝を折っている姿が胎児を模しているように見えます。

 

以上の整理をベースにMVの先頭から見ていきたいと思います。

 

ステージ1(教会にて、モード1)

冒頭に天井の×マークが大写しになるんですが、何でしょうね、これ。

よくわからないけど、サビのところに出てくる、フロアに映るマークと対応関係にあるような気がします。

左が天井、右がフロアのマークです。

 

フロアに移っている方のマークですが、ちょうど位置的には天井の×マークの真下にあたると思います。

×マークは天井中央、そして床のマークはフロアの中心にありそうですね。

で、このマークの意味は何でしょうか?

このマーク、放射線的な形状なのですが、天井のマークの線が中央から伸びる線を数えると四本、そして床のマークが六本。ということは並べると46、櫻坂46の46です。

なんちゃって。そんな訳はないですね。

 

後で触れる、センターの森田さんがモードチェンジするときに、服が放射状に広がるのですが、その形状を模しているのかもしれません。

このマーク、実は教会の壁にも同じマークがあります。

なんか意味ありげなんですが、正直、よくわかりません。

 

お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、メンバーの右手は手袋、左手は素手です。

そして、衣装の脚の部分に青い線と赤い線が走っています。

どうも、このMV、対になるものが通底しているように思います。

天井のマークと床のマークが対なのも、その基本路線上の設定だとしたら、まあそんな感じもしますね。

具体的に何を意味するのかわかりませんが、たとえば、上の放射線状のマークが「天」あるいは「天上」を表すとしたら、下の放射線状のマークは、「地上」ということになります。「地上」というのは、人間の欲、感情などがどろどろと混ざりあった世界、ということかもしれません。

 

さて、メンバーが右手にはめている手袋、なんでしょうね、

見た目がぼろっとしているので、「ボロ」と称することにします。

 

ボロなんですが、個人的には穢れを表しているような気がします。

右手にボロ手袋、左手が素手、素手が何物にも侵されていないことを表すのだとしたら、ボロはその対極、つまり、穢れということになります。

そして、このボロは次のステージ2で、森田さんのモード1の衣装にうえに重ねる衣装となって出てきます。

 

こうやって見ていくと、対になる存在がテーマになっていて、人間には対立する概念とか、対立する感情に引き裂かれている、みたいな見方ができます。

たとえば、本来こうあるべきと自分で思っている自分と、他人の目を意識しているときの自分のギャップに悩むとか。

まさに「引き裂かれた自己」ですね。同名のタイトルの書籍があります。R.D.レインという心理学者が書いた書籍です。

知っている人もいると思いますが、レインという心理学者は、自己と他者との関係性にメスを入れた人です。今回のテーマになかなかマッチしていると思います。

 

サビに入ると、フロントの三人が例のマークの上でパフォーマンス、そして周りの人がスマホのカメラで撮影します。

スマホのカメラが表しているものは、言わずもがな、他人の視線ですね。

他人の視線に自己が規定されるという話は、さきの「引き裂かれた自己」に書かれている話です。

森田さん、他人の視線を浴びながら、ボロをまとったモード2に移ります。

モード2は、他人の視線を意識するがあまりに本来の自分を見失った自分、自分的には穢れを背負った姿と捉えています。

 

ステージ2(廊下にてモード2)

実は、自分の中ではステージ2が一番難解です。

ほとんど消化できていません。

 

メンバーが廊下を左右に移動します。この動きは、時間軸に沿った動きのようにも見えるのですが、意識の方向を表しているようにも見えます。

 

時間軸だとしたら、たとえば、左方向が時間を遡り、右方向が時間を前に進める、というような解釈ができます。

 

もう一つの可能性としては、意識の向いている方向かもしれません。

カメラを向けられていてポーズを取る田村保乃さんを見て、嫌そうな顔をして小林由依さんが走り去ります。

走り去った方向(左方向)が、他人の視線に振り回されることに反発する意識の方向を表し、逆の方向(右方向)が、他人の視線を意識して自分を盛る方向を表しているのかもしれません。

 

他にも可能性があるでしょうが、さっき書いたように、このMVでは、対立するものがテーマになっているように見えるので、意識の方向を表していると考えたほうが個人的にはしっくりします。

 

どっちにせよ、壁にかけてある絵がヒントのような気がします。

絵が櫻坂の曲とか、大きな出来事とか、何かをなぞっているの思うのですが、自分がにわか櫻坂ファンだからなのか、頭が悪いからなのか、絵が何を表しているのかよくわかりません。

わかったら機会を改めて書こうと思います。

 

で、ステージ2では、森田さんが穢れを背負いながら、文字通り右往左往します。葛藤を表しているんでしょうね、きっと。

 

それと、天ちゃんと夏鈴ちゃんが、大きな布に絡まっているようなんですが、これもまた謎です。少し憂いがある表情をしていますね。

最初のうちは、SNSなどの膨大な情報にがんじがらめになっていて困っているとか、そんな風に捉えていたのですが、自分の中の仮説を整理すると、そうならないんです。

衣装には何か意味が込められているように思います。

 

さっき説明した「ボロ」が穢れを表すのであれば、白は「穢れのないもの」とか「純粋なもの」とかいう意味合いになります。

話が少し先に進みますが、ステージ4では森田さん、白い服を着て、白い布(?)に包まれています。自分の中の仮説では、このときの森田さんは胎児を表すため、色は白ですが実際には透明を表しているのではないか考えています。要するに森田さん、裸で透明な液体(羊水)に包まれているんではないかと。

どうも「羊水」という表現がはまらないので「聖水」ということにしましょう。

そうだとすると、夏鈴ちゃんや天ちゃんに絡まっている布、実は透明で、森田さんを包み込むための聖水を放出しているのではないかと思うんです。

とか書きながら自分でも半信半疑なんですがwww。

夏鈴ちゃんと天ちゃんが白い布に絡まれているシーンが二回出てきますが、二回目はカメラが引いて夏鈴ちゃんと天ちゃんが小さくなっていきます。

夏鈴ちゃんと天ちゃんが自ら聖水を絞りだして小さくなっちゃった、という見方もできなくもないです。ちょっと漫画チックな見方ですけど。



ステージ2の最後の方で、森田さんの浄化が始まります。

余計なものを取っちゃいましょう、てな感じですね。

 

ステージ3(再び教会にてモード1)

森田さん、モード1に戻ります。

汚れが落ちて(迷いが吹っ切れて)浄化されたことを表しているように思います。

 

ステージ1とステージ3を対比すると、その違いがはっきりわかります。

ステージ1(左)ではカメラを向けられてポーズを取っていたのに対して、ステージ3(右)ではカメラを向けられてもポーズを取っていません。

他人の視線に振り回されるのをやめた、ということの隠喩だと思います。

歌の最後の決めもポーズも各自、別々になっていますね。

 

最後の決めのあと、森田さんの顔がアップになりますが、燃え尽きて灰になっちまった的な表情をしています。

おそらく「死」を表しているんだと思います。

新しく生まれ変わるために。

 

ステージ4、胎児になる

服がえらいシンプルなモード0ですが、さっきも書いたように、おそらく何もまとっていない状態、つまり「裸」を模しているのではないかと思います。

膝を折った格好は、胎児の格好に見えます。

 

夏鈴ちゃんや天ちゃんたちが絞り出した聖水につかりながら、新しく生まれ変わる、ということになります。

胎児になって終わると言ったら、この映画しか思いつかないんですが、まあ、MVとの関連性は低いように見えますね。

この映画、『2001年宇宙の旅』っていう超有名なSF映画ですが、上のイメージは映画のラストシーンで、主人公が胎児になって生まれ変わろうとするシーンです。

要約すると、「神」みたいな存在に導かれて人類はテクノロジーをどんどん進化させ、やがて人類の落とし子とも言えるAIと殺し合いをして、それに人が勝ったんで「神」みたいな存在に神にしてあげますね、てな話です(だと思う)。

AIにとって人間は生みの親、つまり神様なんですが、AIが人間を殺すってことは神殺しをするということになります。神殺しを受けて立って勝ったんだから、やっぱ人間強い、あんた神にしたるで、ということじゃないかと思っています。

なんかエヴァンゲリオンっぽいですよね。『2001年宇宙の旅』に出てくるモノリスが、エヴァンゲリオンにも出てくるし、多分、めちゃくちゃこの映画の影響受けていると思います。それとガンダムにも、この映画のオマージュがいっぱい出てきますね。

難解な映画で知られていますが、むしろ最初の方は、人間がいかにして他の動物と違ってきたのかが説明くさく描かれています。

最初のうちは肉食獣の餌食になっていたのが、道具を作るようになり、それで動物を狩り食べれるようになったため、高タンパクをとれるようになり脳が発達、知恵が付いていき、という様子が描かれています。

この映画を難解にしてしまっているのは、最後の数十分間のシュールな映像でしょう。なんせ表しているのは神の世界ですから、そもそも合理的な説明なんてできるわけがないんです。

自分の筆力ではうまくまとめられないので、『2001年宇宙の旅』に興味のある人は、どこかでわかりやすい解説を探してみてください。

 

それで、このでっかい胎児は新しい人類(?)の生まれ変わりってことです。

この映画との間に直接的な関連性はないとは思いますが、新しい神として生まれ変わる、という意味では共通しているように見えますね。

 

いくらなんでも飛躍し過ぎだろう、という気は大いにします。

たかだかSNSの話から、なんで「神」に生まれ変わらなきゃならんのだ、というところですね。

そこで裏テーマの登場です(無理やり感がぷんぷんしますが)。

 

前に書いたように、MVの裏テーマが「私たちって、対になる概念に引き裂かれてますよね」ということだとしたら、弁証法的にアウフヘーベンして新しい存在に生まれ変わる、というのも、あながちあり得ない話ではないように思います。

アウフヘーベンなんじゃらほい、というところですが、対立関係にある存在が、相互を否定することなく、より高次の存在になる、という考えです(だと思う)。どうせうまく説明できないし、間違えて解釈しているかもしれないので、興味のある人はネットで調べてみてください。

 

なんで教会が場所として設定されていたのか違和感を感じていたのですが、いったん死んで神になるという一連のシーケンスは、イエス・キリストを髣髴とさせます。

 

しっくりこない部分もあるんですが、全体的にはこんな感じで受け止めています。