仕事の都合で、前に書いた記事が中途半端に終わっていたので、その続きを書きたいと思います。
前の記事はこちら。
今回の記事は、37枚目シングルの選抜に対して思ったことをもう少し書き足そうと思います。どう見ても5期生に主軸が移っちゃってますよねという話を、最近の動きも絡めてもう少し書き足したいと思います。
それから、他の坂道グループでも乃木坂46と似たようなアンダーがらみの動きがあったので、これを機会にアンダーについて書きたいと思います。
アンダーのことを取り上げるたびに、文句ばっかり書いていますが、本当のところは今のアンダーの扱いに不満があると言えばあるものの、これでいいんじゃないかと肯定的に見ている部分もあります。今回は正直ベースで思いのたけを書いてみようと思います。
前の記事の続き
前の記事で37枚目シングルのフォーメーションを見て「なんじゃ、これは」と書いています。
端的に言うと「4期生の扱い、低くない?」という意味です。
3期生は表に立って先頭を走る立場から、後輩たちを後ろから見守る立場に変わり、少しずつ減っていくフェーズに入りました。
そうなると、実質的に最上級生となる4期生が主軸となるはずなのですが、36枚目シングルと37枚目シングルの表題曲のフォーメーションを見る限り、今の乃木坂の主軸は5期生でーす、と言わんばかりのフォーメーションになっているように思います。
37枚目シングル表題曲では前から2列目まで(福神)のポジション11人のうち、5期生が6人と半数以上を占めています。
37枚目シングル表題曲のフォーメーション発表のあと、気になってX(旧Twitter)のTLを追っかけたのですが、自分が見た範囲ではそう見る向きはきわめて少数派だったようです。
どちらかというと、冨里奈央さんと菅原咲月さんがアンダーに移ったことへの不満、林瑠奈さんが久しぶりに選抜入りしておめでとう、奥田いろはさんが初選抜でおめでとう、という内容の投稿が多かったように記憶しています。
まあ、自分のような見方をする人が非常に少ないので、もしかすると偏った見方なのかもしれません。
まあ、ここは「どうせ偏っているのさ」と開き直り、話を続けます。
主軸と言ったときに何をもって主軸と言うかですが、とりあえず、選抜メンバーの中でその占める割合が一番多い期を主軸として見る、ということにします。
何をもって主軸と見るか、いろいろな見方があると思います。
キャプテンやエースといった役目を負っている人もいるわけで、そういう人たちを主軸から外して考えていいのかという根本的な問題があります。
しかし、ここはそういうことには目をつむり、選抜に入っている人数が多い期を一番勢いがある期(=主軸)として見ることにします。
運営が5期生を完全に主軸にしたかどうかをまだ断じるには早いのですが、2枚連続して同じ傾向が見れることも考えると、今後も同じような動きが続く公算が高いように思います。
このような動きの是非はひとまず置いておいて、その背景には、4期生があと少し経てば卒業シーズンを迎えること、それから井上‐菅原体制の移行を急いでいるのかな、という感じがします。
4期生も一時代を築いていた時がありました。
29枚目シングルから32枚目シングルまでの期間、選抜メンバーの約半数を4期生が占めていました。その時期を4期生のピークだったと見れば、いま5期生がピークを迎えたという見方もできます。
実際のデータで見ると、28枚目シングルから最新シングルまでの期別のメンバーの割合は、下の表のとおりになっています。
32枚目から5期生も選抜メンバーに入るようになりましたが、そこを境に4期生のピークは終了しています。
36枚目からは5期生が選抜メンバーの約半数を占めるようになりました。今のところのデータを見る限り、4期生のピークが5期生に移った、といっていいでしょう。
この流れがしばらく続いたあと、6期生の本格的な選抜入りが始まるとともに、少しずつ5期生の勢いは衰退する、ということになると思います。
4期生も加入して7年目、夏には8年目を迎えます。平均して在籍年数が8年目あたりに卒業シーズンを迎えます。3期生に続き、4期生もそろそろ卒業が囁かれるシーズンを迎えます。
おそらく運営サイドが一番気にかけているのは、4期生メンバーの卒業後の進路をどうするか、ということではないかという気がします。
卒業を迎えて「今までありがとさん。じゃあね」というわけにもいかないでしょう。
大学→就職→結婚→出産・育児→復職みたいな典型的な安定路線を捨て、将来に何の保証もないアイドルという道を選んだわけですから、それ相応の花道を用意してあげるのが義理でしょうから。
だいぶ前から、乃木坂の将来を井上和さんと菅原咲月さんに引っ張ってもらおうとしている、と書いてきましたが、おそらく5年くらいのスパンでこの二人が引っ張る体制を考えているのだと思います。
きちんと自分の考えを持っているし、責任感、使命感も強いし、グループを引っ張っていくうえでお二人は適任でしょう。できるだけ長くこの二人に引っ張っていってもらいたい、と運営サイドは考えていると思います。
しかも、二人がプライベートでも大の仲良しになるという余録がついたことは、運営サイドにしても嬉しいオマケだったでしょう。
おそらく、加入2年目に井上さんをセンターに抜擢しエース格に格上げし、3年目に菅原さんを副キャプテンに抜擢することは、最初から描かれていた筋書きだったのではないかと思います。
以前、記事で書きましたが、5期生加入後の初めてのシングル(29枚目シングルの)に収録されている井上さんの紹介ビデオでは、彼女がエースになること、それから30枚目シングルに収録されている5期生楽曲『バンドエイド剥がすような別れ方』では菅原咲月さんがまとめ役になること、そして井上さんと菅原さんが今後の乃木坂を引っ張っていくことが暗示されていたと見ています。
3年目で副キャプテン就任というのは、時期的に見て早いでしょうし、年齢的にも19歳と若いわけですから異例の抜擢と言えます。
梅澤美波さんが、副キャプテンに就任したのが4年目、キャプテン昇格が5年目です。
2年目だったら早すぎると叩かれるけど、3年目だったらギリOKだろうから3年目にした、というところではないでしょうか。
つまり最短コースを取ったわけです。
それだけ急いでいる、という見方もできます。
運営サイドとしても短期間で体制がころころと変わるよりも、長めに期間を設定した方が運営しやすい、という事情もあるでしょうが、ある程度のスパンを切って、その中で何事かを達成させようとしている雰囲気もします。
前の記事でも書いていますが、5期生をターニングポイントにして何かを変えようとしている雰囲気はあります。そう思う根拠は、今までの人選からすると5期生が異色であることです。
その辺りの話は、内容的にあまりにもクソすぎて自分的には今や黒歴史となってしまった『6期生募集を受けて~今後の乃木坂46はこうなると妄想』という記事に書いています。
乃木坂の路線転換についていろいろ書いていますが、本人も「妄想」と言っているように、本当のところはまるで見当がついていません。
ただ、去年の後半辺りから主張してきた「宝塚システム」と考え合わせると、個性をもっと売り出していこうという路線はあるのかなとぼんやりと考えています。
個性派揃いの5期生も、そういうことを念頭に選ばれたのかもしれません。
「宝塚システム」なんじゃらほいの解説は下の記事に書いてあります。
「宝塚システム」という言い方の是非はともかく、その肝は、ともすればグループの中で埋もれてしまいがちな個性をクローズアップすることです。
期別活動という少人数の単位で、各自が思う存分に自身をプロデュースできるようにする活動を指します。
期別活動はこれまでもありましたが、もっと活動内容を厚くしようということです。
今後、5期生以降の世代の期別ライブは、各自がセンター曲を披露する、そして各自が自身をプロデュースしてパフォーマンスを披露する、という二本立てになるのではないかと思っています。
この活動が今後、活性化していくとしたら、もしかして曲を自作自演してくる子も出てくるかもしないし、クラシックか何かの名曲に合わせてオリジナルのダンスを踊る子も出てくるかもしれません。シュールな舞台装置に、舞台衣装なんて言う芸術路線に走っちゃう子も出てくるかもしれません。
簡単にまとめると、選抜やアンダーとかという立場に関係なく、個人の好きなようにやってよろしい、ということではないかと思っています。
もしかして大人の敷いたレールに乗るだけではなく、自身でレールを敷くのもいいんじゃないかと運営が考えていたら、とっても素敵だなと思います。
とまあ、いろいろ書いてきましたが、要約すると、5期生を主軸に個性をもっと前面に出した活動をしていくんでないかい、ということです。
アンダーの位置づけ
去年の後半あたりから注目すべき動きがあります。
ちょっと前に櫻坂46の村井優さんが10枚目シングルで、そして最近では日向坂46の富田鈴花さんと髙橋未来虹さんが13枚目シングルで選抜に入らなかったことが強く印象に残っています。
どうやら聖域を設ける気はありません、ということらしいですね。
もっとも、聖域なんて勝手に自分がそう思っているだけで、そもそもそんなものは最初から存在しないのかもしれません。
今回の記事では、選抜に入らなかった人たちを総称して「アンダー」という呼び方で統一します。
これは乃木坂46で使われている言葉であり、他の坂道グループでは別の言い方をしていますが、総称する言葉がないようですし、この呼び方に慣れてしまっているので、この呼び方で統一することにします。
櫻坂46の村井優さんは、加入当初からダンス優等生として優遇されているように見えます。振付師のTAKAHIRO先生も、彼女のダンスを高く評価しています。
日向坂46についてはあまり詳しくないのですが、富田鈴花さんは外仕事で活躍しているし、歌唱力も坂道グループの中でもトップクラスで選抜常連メンバーのように見えましたし、高橋未来虹さんは副キャプテンですし、両人ともども選抜に入るものだと思っていたので意外でした。
ミーグリがすべてではないとは思うのですが、やっぱりミーグリの成績なんですかね。
確かに彼女たちのミーグリの成績は決して高くないようなのですが、だからといって低いわけでもないようです。
パフォーマンスがいかに優れていても、やはりミーグリの成績がよくないと選抜に入れない、ということらしいですね。
乃木坂46の菅原咲月さんにしても、日向坂46の髙橋未来虹さんにしても、副キャプテンでありながら現シングルでは選抜に入っていないのですが、裏を返せば、副キャプテンだからといって自動的に選抜に入るというものではない、ということになります。
本来、キャプテンや副キャプテンの役どころは、人をまとめる役なのだから、選抜かアンダーか、ミーグリの完売実績が高いかどうは関係ないはずです。
ただし、この考えには前提があります。
それは、アンダーは二軍でも補欠でもないというということです。
たとえば、スポーツの世界で、二軍や補欠からキャプテンを選出する、という例は聞いたことがありません。必ずしもスター選手がキャプテンにならなくてはならないわけではありませんが、ある程度、実力があり、そして人望のある人がキャプテンに選ばれると思います。
日向坂46の高橋未来虹さんは、「ひなあい」で歯茎丸出しでよく笑っているという印象が強く、それ以外の知識はないのですが、当然、実力も人望もある方なんでしょう。
乃木坂46の菅原咲月さんは、加入当初からまとめ役に適任とあちらこちらで囁かれていたとおり、キャプテンに相応しい人材でしょう。
副キャプテンがアンダーにいるということは、アンダーが二軍や補欠という扱いではないことを証明しているように思います。
とはいえ、両者の間には圧倒的な格差があります。その話はあとで詳しく書きます。
普通に考えて、人をまとめる立場の人が、選抜かアンダーかということで振り分けられるはずがない、そう思います。
とはいえ、キャプテン、副キャプテンが選抜ではなくてもいいか、という点については、おそらくNOでしょう。
キャプテンはグループの代表ですから、たとえば歌番組で表題曲を披露する際に、キャプテンがいないということは、メンバーから見ても、番組関係者から見ても、演者の代表者がいないことになってしまいます。
乃木坂の外の人間からすると、非常に奇異なできごとに映ります。グループとしても、精神的な支柱が抜けた状態になるわけですから、あまりよろしくないように思います。
じゃあ、アンダーにキャプテンがいなくていいのか、という点については、YESが回答のように思います。
というのも、選抜はグループの代表(顔)として選ばれた人たちであり、アンダーはそうでない人たちですから、やはり、ここにはしっかりとした線引きがあると思います。
では、副キャプテンは選抜でなくてよいのか、についてもNOだと思います。
副キャプテンはある意味、見習いキャプテンです。
キャプテンという役職をスムーズにバトンタッチできるようにキャプテン+副キャプテンという体制をとっているのですから、当然、副キャプテンはキャプテンの側にいてキャプテンをサポートすると同時に、そのときどきのキャプテンの立ち振る舞いを見ながら勉強する必要があるはずです。
ですから、キャプテンほどは強い強制力はないかもしれませんが、基本、選抜でなければならないはずです。
まとめると、キャプテンや副キャプテンを選ぶうえで、選抜かアンダーか、ミーグリの完売実績が高いかは関係ないが、選ばれた以上は選抜入りする、ということになる、ということになります。
もしそうだとすると、遠からず、高橋未来虹さんも菅原咲月さんも選抜に入るのではないかと予想しています。
乃木坂も、37枚目シングルで人気メンバー(ミーグリの完売実績で見ると上位メンバー)が選抜からアンダーに移りました。だからと言うわけでもないのですが、運営側としては、選抜に入らないことへのネガティブなイメージを持ってほしくないと、ファンに意識改革してもらいたいと考えているような気がします。まあ、そんな気がしているだけなのですが。
アンダーの位置づけが二軍でも補欠でもない、ということは、アンダーという呼び名はともかく、選抜の下にアンダーがあるわけではなく、あくまでも横並びの関係になるということになります。
しかし、それは建前上の話です。両者には圧倒的な格差があります。
圧倒的な格差は、媒体露出の頻度に顕著に現れます。
ここからは、媒体露出について書きますが、対象は主に乃木坂46です。
他の坂道グループのアンダーの媒体露出がどうなっているか把握できていないからです。
櫻坂46の遠藤理子さんが選抜経験なしでラヴィットに出演していますが、それって大抜擢なのか、それとも当たり前のことなのか把握できていません。
でも、選抜、アンダー関係なく媒体露出しているのであれば、すごくいいことだと思います。
では、話を続けます。
選抜、それもフロントともなれば、各誌のインタビュー記事に引っ張りだこになり、番組のゲストに呼ばれることも多くなります。
また、「乃木坂工事中」というような冠番組にも登場する回数が増えます。
アンダーはその逆です。
選抜に入り、媒体露出の回数が増えれば、それだけファンから推され人気が上がるという相乗効果が得られますが、アンダーの場合は媒体露出の頻度が極端に減るため、人気が下がり、人気が下がるから表舞台に出る頻度が下がるという負のスパイラルに巻き込まれます。
あちこちの記事で、アンダーという呼び方が気に入らないと書いていますが、こういう蟻地獄的な性質を持っている点では「アンダー」という呼び方はまさに正鵠を得ているかもしれません。
アンダーにはアンダーライブという機会が与えられているからそれでいい、という考えもあるかもしれません。
それはそれで一理あるのですが、だからといって格差が埋まるとは言い難いと思います。
もちろん、アンダーライブならではの熱気、感動といったことに価値は大いにあると思っています。
自分は実際にライブに行ったことがなく、配信しか見たことがありませんが、やはり曲に対する想いの深さはひしひしと感じるものがありました。
しかし、歌番組に出演しスポットライトを浴びる、といういかにもアイドルらしい活動からは遠ざかり、世間にアピールできる機会は大きく制限されます。
こういう格差がどうにも気に入らなくて、ついつい心情的にアンダーの扱いに対して不満たらたらになるのですが、そうは思いつつ、選抜とアンダーの間に格差があることの是非については、自分の中でも結論がついていません。
心情的にアンダーの子たちが不憫でならない、と思う人は多いでしょう。自分もそうです。もっとも「不憫」なんていう想いは、アンダーの子たちにしてみれば、憐れまれることになるわけですから、こちらの想いとは裏腹に迷惑な話でしょう。
アンダーにいる子たちは、選抜発表のあとにブログで「今回はアンダーとして頑張ります」と気丈に書いていますが、内心はそんなものではないはずです。
特に選抜からアンダーに移ることが決まった子は、崖から突き落とされるような気持ちになるのではないかと思います。自分を全否定されたような気分になるでしょう。
選抜からアンダーに移ることが決まったあとの櫻坂46の村井優さんのブログ、中嶋優月さんのブログを読んでいて胸を締め付けられる想いがしました。
薄い箱推しの自分ですらそう感じたのだから、推している人にしてみれば、たまったものではないでしょう。それこそ、運営の事務所に押しかけて抗議デモをしたくなるような話だと思います。
運営サイドはアンダーをどう見ているのでしょうか。
乃木坂46のアンダー楽曲に『アンダー』という曲があります。文字どおりアンダーを題材とした歌です。選抜に選ばれなかった心情を吐き出す、そういう歌です。
この曲のМVを見ると、運営サイドが選抜入りできなかった子たちがメンタルを相当やられている実態を把握していることが分かります。まあ、組織として当然把握すべきことですから、当たり前と言えば当たり前の話です。
クソ曲として有名な曲ですが、個人的には「言うほどクソ曲ではないな」という感想を持っています。
アンダーの気持ちを何層ものオブラートでくるんだ曲という印象です。
これで「私たち、アンダーだけど頑張る!」というような能天気なノリだったら、しょうもないクソ曲だと思いますが、何か恐る恐る「こんな私ですが...」みたいに低い姿勢で顔を出しているようないじらしさがあり、その辺でやや救われている(?)感じがします。
MVには、座り込んで泣いている子などが映し出されます。運営サイドもアンダーの子たちを精神的に追い込んでしまっている事情を認識していることがわかります。
ある意味、アイドル稼業のダークサイドとも言える部分を表にさらけ出してしまっていますが、これは、アイドルの厳しい現実を見せるとともに、こういうことが起きていることに自分たちはきちんと向き合っているのだというメッセージなのでしょう。
運営側の人たちも人の子です。年端のいかない女の子を精神的に追い込んでしまっていいと思うわけがありません。
そうは言っても、組織である以上、組織の幹になっていく人、組織の外側に押し出されていく人、次第次第に振り分けられていきます。これは避けようのない組織の宿命です。
アイドルは、ファンあってなんぼの世界です。
集客力がある子は、大きな収入源です。あまり収入源として期待できないのであれば、やはり力を入れてくれなくなるのは仕方がないことですね。
ただ、前にも書いたとおり、安定路線を捨ててまでアイドルという道を選んだ子に、もう少し手厚い救済策はないものかとも思います。
アンダーのことを考えると、大体この辺で煮詰まって思考停止に陥ります。
同じような人も多いのではないでしょうか。
ことあるごとに、アンダーの扱いが不満だ、と書いていますが、本音のところでは結構、玉虫色だったりするわけですwww。
もしかすると、さっき書いた「宝塚システム」が救済策として機能するのかもしれません。
もしそこまで考えて作られたシステムだとしたら、運営さんもなかなかやるな、と思います。
この辺のアンダーの位置づけについては、多分、運営の中でも相当な議論が重ねられたはずです。一社会人としての経験からすると、内容が内容だけに、かなり白熱した議論が繰り広げられたのではないかと思います。
体制的に最適解ではないかもしれないが、これで走るかと一応の結論を得て今に至っているはずです。
アイドルの世界は、「推しの力学」が原動力になっています。
アンダーにいる子を絶対に選抜に入れるんだとファンが決起し、ミーグリを買いまくれば、ミーグリがそれだけ早く完売します。
運営サイドもマーケティング活動を通してファンの行動を把握しているはずです。だから、ファンが目に見える形で後押しすれば、それを無碍にはしないでしょう。その子は晴れて選抜入りすると思います。
もし、選抜とアンダーの間に格差がないとすると、今度は「推しの力学」が働かなくなり、アイドル活動が膠着してしまう、なんてことになるかもしれません。
このような「推しの力学」がアイドルという存在を根底から支えているとすると、選抜とアンダーの壁をなくして万々歳という話ではなくなりますね。
今の段階では仮説なのですが、アイドル稼業をややこしくしているのは、この実体のあるようなないような「人気」や「推し」が原因なのではないかと思っています。
「人気」がすべてに先立ち、パフォーマンスは二の次という原理が働いているため、話をややこしくしているような気がします。
実力本位のスポーツであれば話は単純です。
実力が認められ、そして、その実力がチームの戦略上必要であると判断されれば、その人はレギュラー入りするでしょう。
たとえば、バスケットの世界では、概ね背が高いほど有利でしょう。しかし、バスケットの選手は巨人ばかりではありませんね。
漫画の『スラムダンク』に出てくる宮城クンみたいに上背はなくても、その俊敏さで大きな選手を翻弄し、その巧みなボールさばきで小柄ながらゲームをコントロールすることさえできます。
あるいは身体能力が高くなくても、海南高校の神クンみたいに、ゴールの遠くから正確にゴールを射貫くことができれば、相手はゴール近くだけ守備を固めればいい、なんてことはできなくなります。
何か一つ秀でているものがあれば、それは実際に目で見て確かめることができますし、それが実際に試合で役に立つことを証明することもできます。
ところが、アイドルの場合は「背の高い人」だけレギュラー入りさせるみたいに偏った条件で選んでいるように見えてしまいます。これが理由で、アイドルの世界が不公平に見えるのだと思います。
そして、それは前述したように「人気」や「推し」というわかりにくい力が作用しているため、ともすればアンフェアな世界に見えてしまうのではないかと思います。
しかし、だからと言って「人気商売だから仕方がない」で終わらせてしまっていいわけはありませんね。
最後に、自分が望んでいることを吐き出して終わりにしたいと思います。
自分が望んでいることは、「アンダー」という呼び方をやめてもらいたいのと、媒体露出の機会を増やしてもらいたい、以上の2つです。
まず、「アンダー」という言い方はいい加減、止めてもらいたいです。
この言葉は乃木坂46で使われている言葉なのですが、これに相当する言葉は櫻坂46では「BACKS」、日向坂46では「ひなた坂」です。
乃木坂46「アンダー」→櫻坂46「BACKS」→日向坂46「ひなた坂」という順番に並べると、徐々に表現が弱くなっていきます。この順番は、グループ誕生の順番でもあります。
乃木坂46は、秋元康さんの肝いりで、その当時隆盛を誇っていたAKB48のライバルグループとして誕生しました。つまり、強力な秋元イズムのもとで誕生しています。
AKB48では、メンバー間の競争が煽られたり、過酷な試練が与えられたりと一種の根性物に近い世界だったように記憶しています。
そんな流れを受けて「アンダー」という言い方になったのではないかと思います。
最初の頃は、選抜から漏れてしまった可哀想な人たちみたいな存在だったのが、やがてアンダーライブという場を与えられ、そこで成功を収め、アンダーだけのアルバムを作るまでになった、というサクセスストーリーをリアルタイムで体験してきた人たちには、あまりアンダーに対するネガティブなイメージはないのかもしれません。
自分みたいに比較的、最近に乃木坂46のファンになった人間には、そういう思い入れがないため、やはり選抜とアンダーの格差に、ついつい目が行ってしまいます。
櫻坂46の「BACKS」は、「選抜」と「アンダー」の中間みたいなやや複雑な位置づけになっていたこともありますが、今では完全に「アンダー」と同義です。つまり、選抜に入らない人たちを表します。
この言葉は「控え」くらいの意味なんでしょうか。乃木坂46の「アンダー」よりはソフトな表現になっていますね。
そして、日向坂46は「ひなた坂」という呼び方で、さすがに「ハッピーオーラ」を看板にしているだけあって、やんわりとした表現ですね。読み方が同じということは、差別はないよ、という意味なんでしょう。でも読み方が同じだと混乱しそうですね。
では、乃木坂46の「アンダー」を何と呼ぶのがいいのでしょうか。
個人的には差別的なニュアンスがなければ呼び方は何でもいいです。
グループのカラーが違うのでまねる必要はありませんが、日向坂46みたいに平仮名化して「のぎざか」でもいいですし、まったく別の名前、たとえば「がんばるシスターズ」でもいいです。
「アンダー」という呼び方にはもう一つ文句があります。
どうにも時代錯誤的な感じがすることです。
時代の方向は、強者の論理から、弱者を救済する論理に転換しています。「〇〇ハラスメント」、「〇〇ハラ」という言い方がさかんにされるようになりましたが、昔は気にも留められなかったことがクローズアップされ、弱者を作らない方向に社会の風潮がシフトしているように思います。
そういう意味では「アンダー」という言い方は時代に逆行すると思います。時代の雰囲気から外れるような言い方はやめた方がいいと思います。
もっとも、アンダーを弱者と捉えること自体がアンダーの人たちを蔑んでいるように見えるので、よくない見方かもしれません。
なんだかんだいって「アンダー」という言い方は、秋元康さんが築いたビジネスモデルの負の遺産のように見えるので、そういう古いビジネスモデルに乗っている意味が今となってはあまりないような気がします。
というわけで即刻、廃止してほしいです。
望んでいることがもう一つあります。
アンダーの子たちが媒体露出する機会をもう少し増やしてもらえたらいいなと思っています。
最近の坂道グループに共通の傾向として、配信媒体としてYouTubeを活用するケースが増えているように見えます。擬似的にYouTubeをテレビ番組として扱っているのかなと思っています。
媒体露出に差がありすぎるという反省があるのかわかりませんが、選抜、アンダーの区別なく、メンバーに均等に出演の機会が与えられているようなので、その辺は好意的に見ています。
あとはピンポイントの話になりますが、『乃木坂工事中』ですかね。選抜メンバーのみ出場する回が多く、アンダーの子たちが出演しない期間が続くことがあります。
アンダーの子の中には、選抜メンバーよりもはるかに高いバラエティー適性を持った子が何人もいます。そういう子をもっと番組に出してあげたほうが面白いと思います。
それと、自分の記憶が正しければ、ヒット祈願に一度だけアンダーメンバー(2期生の渡辺みり愛さん)が参加したことがあります。
いつも選抜メンバーだけヒット祈願に起用されるのですが、こういうこともやっちゃっていいんじゃないかと思います。
アンダーもグループの一員です。表題曲を応援しても何の問題もないでしょう。
そういう無用な壁は取っ払った方がいいんじゃないでしょうか。
とまあ、話がとっ散らかった感がありますが、言いたいことを言ってスッキリしたのでここらで終わりにします。